5.スピリチュアリズムの「心」と「霊」についての見解

“心の定義”をめぐる2つの対立する立場を見てきました。スピリチュアル・ヒーリングは言うまでもなく、脳から独立した意識・心の存在を認める立場です。ではスピリチュアル・ヒーリングでは、そうした脳から独立した心(意識)を、多くの宗教のように「霊魂」と見なしているのでしょうか。スピリチュアリズムでは、「心」と「霊」をどのように考えているのでしょうか。これらを同一のものとして考えているのか、あるいは全く別の存在として考えているのでしょうか。

日本語の「心(kokoro)」は、英語では「mind・heart・soul・spirit」で表されます。一方、英語では「mind」と「soul・ spirit」の間には、はっきりとした線引きがなされています。これを見ると日本語は英語と比べ、心と霊の境界が明確でないことが分かります。とは言っても英語でも「soul」と「spirit」の区別は明瞭ではなく、正式な定義が確立しているとは言えません。心・精神・霊・魂については、曖昧あいまいなままであると言えます。こうした状況は日本語や英語だけでなく、他の言語にも共通しています。

その最大の理由は、これまで人類が、人間の構成についての明瞭な知識(人間観)を持っていなかったということです。スピリチュアリズムは、そうした地球人類がいまだに解決しえないでいる問題に対して、明確な答えを示しています。ここでは、そのスピリチュアリズムの「心(意識)」と「霊」についての見解を見ることにします。

人間の無形の構成要素

「霊の心」と「肉の心」

本書では、すでにスピリチュアリズムの身体観について見てきました。主に霊体と肉体という形態的構成要素を中心として論じてきました。しかし人間を構成する要素には、無形のもの(形態を持たないもの)もあります。それが「心」であり、「霊」なのです。

スピリチュアリズムでは、霊体と肉体にそれぞれ「心」があるとします。人間は死後、肉体を脱いで霊体としての存在で、新たな生活を始めるようになります。そこでは地上時代と変わらない高度な意識や知性が保たれています。ということは、霊体に心が存在しているということになります。スピリチュアリズムでは、これを「霊の心」と呼びます。

それに対し、肉体にも心のような部分が存在します。脳から発生する低次元の意識である「本能」です。「肉の心」、すなわち「本能」は動物にも等しく見られるものであり、肉体の維持と種の繁殖を目的として必要な行為を促します。

このように地上人は、「霊の心」と「肉の心」という2つの心を同時に持って意識活動をしています。これをハリー・エドワーズは――「私たち各個人は、肉体的な心のほかに霊的な心を持っています」(『霊的治療の解明』P22)と表現しています。

以上の内容を整理すると、次のようになります。

人間の構成要素

地上人の自覚する「心」とは?

さてここで重要な点は、地上人が「心」と自覚するのは、「霊の心」の内容(霊的意識)と「肉の心」の内容(本能的意識)の2つを一緒にしたものであるということです。私たちの心は、「霊の心」と「肉の心」という両方の心(意識)を合わせたものなのです。

2つの異なる心から発せられた別々の意識が、私たちには1つの意識として自覚されることになります。地上人には、2つの心から発せられた意識は、混然一体となって感じられるようになっています。そのため大半の地上人は、今自分が抱いている意識がどちらのソース(心)からのものなのかを区別することができません。

地上人の自覚する「心」

1つの心(自覚意識)

霊の心と本能

スピリチュアリズムでは、さらに次のような重大な事実を明らかにしています。それは「霊の心」の内容(霊的意識)が、地上人にすべて自覚されるようにはなっていないということです。霊的意識のほんの一部分だけが顕在意識化し、地上人に自覚されるようになっているのです。

「潜在意識」と「顕在意識」

自覚される意識と自覚されない意識

近年盛んになった深層心理学では、人間の意識は、通常では自覚できない「潜在意識」と、日常的に自覚できる「顕在意識」の2つの部分に分けられることを明らかにしています。スピリチュアリズムもそれと同じく、人間の意識は「潜在意識」と「顕在意識」から成り立っているとします。

潜在意識と顕在意識の関係

この図は、潜在意識と顕在意識の関係を示したものです。脳から発せられた低次元意識である「本能」は、顕在意識となります。その意識は日常においてそのまま“欲求”として自覚されるようになっています。一方、顕在意識の中には、脳を通過して自覚されるようになった「霊的意識の一部」も含まれます。このように顕在意識は、脳に由来する「本能的意識」と、霊の心からもたらされた「霊的意識の一部」から成り立っています。この顕在意識が、一般的に言われている「心」のことなのです。精神医学で取り扱う心とは、この顕在意識のことを意味しています。

以上の内容を整理すると、次のようになります。

  • 潜在意識 ――大部分の霊的意識(霊の心の内容)
  • 顕在意識――一般的に言う「心」のこと。霊的意識の一部と本能的意識から成立

霊的意識の顕在化と、霊性の発達

このように“脳”が高次の霊的意識の“受信器”としての役割を果たすことによって、人間は肉体を持ちつつも高次意識を認識し、それによって自らの人生を導くことができるようになります。「霊の心」に由来する高次意識(霊的意識)が、どの程度まで顕在意識になるのかということは1人1人で異なります。

霊的意識をより多く顕在意識化するためには、「霊の心」から脳に向けて多くの霊的エネルギー(マインド・エネルギー)を送ることが必要になります。催眠術やドラッグによって、このエネルギーの通路を一時的に広げることができますが、それはきわめて不自然な方法で、その後さまざまな支障精神異常など)が生じることになります。最近では音響効果を利用した“ヘミシンク”と呼ばれる方法が注目されていますが、これも同様です。

「霊」に十分なエネルギーが蓄えられ、それがステップダウンして「霊の心」を満たすというプロセスを踏むことこそが、徐々にではあっても自然にエネルギーの通路を開かせることになるのです。言い換えれば――「霊的成長とともに、より多く潜在意識が顕在意識化するようになる」ということなのです。

潜在意識を多く顕在意識化できる人間とは、「霊性」の発達した人間のことです。そのような人は、必然的に精神的に崇高な人生を送るようになります。反対に霊的意識を全く顕在意識化できない者は、肉の心(動物本能)だけに支配された人生を歩むようになります。

地上人にとって「霊の心」の意識(霊的意識)の大半は、潜在意識となっています。霊的意識は地上人においては、そのほんの一部が顕在意識として自覚されているにすぎません。

しかし死んで肉体・脳を捨て去ると、地上時代には自覚できなかった霊的意識を、すべて自覚できるようになります。今まで知らなかった自分自身の本当の心を発見することになります。そして自分の心の変化と広がりに、一様に驚くようになります。

修行にともなう「意識の変容」とは?

こうしたスピリチュアリズムの“意識論”によるならば、宗教の修行にともなう意識の変化・拡大という問題や、最近ニューエイジの中で脚光を浴びるようになった「トランスパーソナル心理学」での主要テーマも、いとも簡単に解決されることになります。

“脳”という物質器官の制限下で、ほとんど自覚できなかった「霊的意識」を引き出すことが、修行にともなう「意識の変容」ということになります。潜在意識として閉じ込められている霊的意識を顕在意識化することが、意識の拡大・意識の変容に他なりません。言うまでもなく、潜在意識をより多く顕在化できればできるほど、大きな意識変革がもたらされ、より高次の心境・意識を自覚できるようになります。

「霊の心」と「霊」の関係

ここで、さらに問題を掘り下げることにします。それはこれまで述べた「霊の心」が、「霊」そのものと言えるかどうかということです。従来のスピリチュアリズムでは、この問題についてさまざまな意見が存在し、見解の一致には至っていませんでした。しかし最近になって“シルバーバーチ”などの優れた霊界通信の登場によって、「霊の心」と「霊」を別々の存在とする考え方が一般的になってきました。以下では、その見解にそって述べていくことにします。

霊的世界には、高次の霊的意識を持っている人間(個性霊)がいる一方で、低次の霊的意識しか持っていない人間(個性霊)もいます。これは個性霊それぞれの「霊」の成長度(霊性レベル)が異なるからです。「霊」の成長度によって、「霊の心」の内容が決まるということです。「霊の心(霊的意識)」は「霊」の道具であり、霊の表現器官・霊の外皮のようなものと言えます。

スピリチュアリズムでは、「霊」と「霊の心(霊的意識)」を別のものとし、人間を「霊・霊の心・身体」の3つの構成要素からなる「三位一体的な存在」と考えます。

  • ――霊の心(霊的意識)――身体(霊体・肉体)

人間の「霊」とは何?

“霊の定義”

ところでスピリチュアリズムでは、人間の「霊」をどのように定義しているのでしょうか。言語の領域を超えた「霊」という存在を、言語を用いて定義することには非常な困難がともないます。ましてそれを説明することは至難の技です。必然的に従来の宗教がしてきたように、比喩的・象徴的な用語を用いて表現せざるをえなくなります。

神は、霊界・宇宙のすべてを包含する大霊であり、私たち人間はその分霊です。神を霊の大海に譬えるならば、人間の霊は、ちょうどその大海から取り出された一滴の水に相当します。この神の分霊こそが、私たち個性体の一番の本体なのです。スピリチュアリズムでは人間の「霊」を――「大霊(神)の分霊」「人間に内在するミニチュアの神」「神と同質の霊的要素を持つモナド」と定義します。

  • 人間の霊とは ――霊(神)の分霊・ミニチュアの神・神と同質のモナド