6.スピリット・ヒーリング(霊医による治療)の意味するもの
信仰問題から“事実問題”へ
スピリット・ヒーリングは、これまで宗教や信仰上の対象とのみ思われてきた「霊魂」の問題を、突如、医学の中に持ち込むことになりました。そして霊魂の存在は事実か否かという鋭い問いかけを、一般の人々ばかりでなく、医学関係者に対しても突きつけることになりました。スピリット・ヒーリングは「霊魂の存在」を、従来の信仰問題から“事実問題”として人々の前に提示することになったのです。
スピリット・ヒーリングにおける「霊医」の治療を認めるのか否か、スピリット・ヒーリングのすべてを妄想・インチキの一言で片づけるのか否かという二者択一の判断を、人々に迫ることになったのです。
「霊魂の存在」に対する、科学サイドの反応
死後の世界や霊魂などは存在しないという見解の持ち主には、「スピリット・ヒーリング」なるものはすべて信仰の世界での出来事にすぎず、科学的事実ではないということになります。そうした人々にとってスピリット・ヒーリングは、大昔の原始宗教を、科学の発達した現代にそのまま持ち込んだ実に愚かしい時代遅れの行為ということになります。彼らにすれば、スピリット・ヒーリングに関わるすべてのヒーラーと患者は、空想と妄想の世界にどっぷり浸かって、まともな理性を用いることができない狂信の徒に他なりません。
従来、科学の立場からは「霊魂の存在」については、もっぱら信仰上・主観上の問題であり、科学が判断すべき問題ではないとされてきました。とは言っても多くの科学者にとっての“本音”は――「霊など存在するはずはないが、いくら言っても知性のない人間は自分の考え方を変えようとしない以上、勝手にさせておくしかない」というものです。霊魂の存在を信じる人間を、心の中で
現実の治療実績と、否定論者の困惑
「スピリチュアル・ヒーリングによって、現代医学では治らないとされていた病気が奇跡的に回復した」「どのように考えてみてもスピリチュアル・ヒーリング以外には、治癒のきっかけとなったものが見当たらない」――こうした話は、
現代医学ではお手上げの末期ガンの患者が、スピリチュアル・ヒーリングで奇跡的に治ってしまうというようなことは、現代医学では到底認めることはできません。しかし、それ以上に受け入れがたいのは“霊界の医者が治した”という内容です。唯物思想に凝り固まった科学者や医者には、それは常識の範疇を超えた作り話としか思えないのです。
スピリット・ヒーリングを理解するには、“霊が地上人に働きかける”という従来では考えられなかったような思考の飛躍が必要とされます。そのためにはまず「霊魂の存在」を受け入れることが前提となります。
霊界や霊魂の存在を受け入れられないのは、科学者や唯物論者に限ってのことではありません。ホリスティック医学関係者の中にも、「霊魂の存在」や「霊医による治療」を信じられない人が多数います。おそらく現時点では、スピリット・ヒーリングに否定的な医者や研究者が主流を占めているのではないでしょうか。
霊医による治療の事実を否定するためには、他の原因によって病気が治ったことを証明しなければなりません。そこで治癒を引き起こした根拠・理由を捜すのですが、どうしても見つけることができません。こうした事態は、否定論者に大きな困惑と動揺を与えることになります。
“霊魂が地上人へ働きかける”という古来からの素朴な信仰
太古の昔より、人々は良きにつけ悪しきにつけ、霊魂との関わりを強く意識してきました。シャーマニズムや世界各地のさまざまな地域における宗教では、この世とは別の世界に存在する霊魂(霊的存在)と地上人との交流が信じられてきました。霊魂が地上世界に働きかけ、地上人を守護したり
その霊的存在は、時に神や天使と見なされて“信仰の対象”とされたり、反対に地上の人間に悪事を働いたり害をもたらすなどの“恐れの対象”として考えられてきました。さまざまな宗教的儀式は、そうした霊的存在に対する対処法だったのです。
キリスト教と霊魂との関わり
聖書には、イエスが悪霊を追い払って病気を癒したというような話がたくさん述べられています。また聖書だけでなく多くの宗教文献には、こうした地上人と霊との関わりを示す記述が至るところに見受けられます。聖書に記されたイエスの“霊的業”を見るかぎり、イエスはまさに歴史的な最高のシャーマンであり、霊のコントローラーであり、優れたスピリチュアル・ヒーラーであったと言えます。
その後キリスト教は、霊との交わりを全面的に禁止し、霊的現象を“サタンの仕業”と決めつけることによって、キリスト教の中から霊の働きを排除してしまいました。それが中世において、恥ずべき魔女狩り・魔女裁判といった歴史をつくり出すことになりました。現在でも教会は、信徒はこうしたものとの関わりを一切持つべきではないと拒否的態度をとり続けています。
正統的なキリスト教の教義の中には、神は常に存在しますが、死後の人間の魂の居場所は見当たりません。終末のイエスの再臨まで留まる場所として、みすぼらしい
スピリチュアリズムの登場と、グレードアップした霊魂観
こうしたキリスト教の貧しい死後世界観に対して、18世紀に現れたスウェーデンボルグは明確な“霊魂観”を説き、死後の世界としての霊界を明らかにしました。そうした新しい霊魂観の芽生えは、19世紀における“スピリチュアリズム”の登場によって、さらなる論理性と整合性のともなった死生観・霊魂観として人類にもたらされることになりました。
スピリット・ヒーリングは、そのスピリチュアリズムの霊魂観に立った医療です。スピリット・ヒーリングは、「霊界の存在」と「霊魂の存在」を前提として成立しています。“霊(スピリット)が地上人に働きかける”との古来からの素朴な信仰は、スピリチュアリズムの「スピリット・ヒーリング」においてグレードアップし、洗練された形で科学時代に再び現れることになったのです。
宗教と医学の、新たな一体関係
近年以降、シャーマニズムに対する関心が高まり、宗教学や民族学の立場から「霊魂に対する研究」が進められるようになってきました(注2)。「霊魂の問題」は従来、純粋な宗教のテーマと見なされ、学問的な対象とされることはありませんでした。現在、霊魂の問題が学問の土俵の上で論じられるようになったことは、人類にとって明らかな進歩と言えます。
スピリチュアリズムは、そうした動きをさらに進め、宗教と医学を同一のレベルにまで引き上げようとしています。「霊医」という霊的存在が現実的に地上人を治療し、病気を癒すことを明らかにしています。そこでは「霊魂」という純粋な宗教的対象が、医療行為の主役となっています。これは宗教と医学が、全く同じレベルに立っていることを意味します。
歴史を振り返ると、医学は常に宗教と同一歩調を保ってきました。ほとんどの時代で、医学と宗教は一体不可分の関係にありました。ところが近代科学が興隆するにともない、両者は分立化の道をたどることになりました。そして現在では多くの知性人が、宗教と医学は対立するものと考えるようになっています。スピリチュアリズムを背景にした「スピリット・ヒーリング」は、宗教と医学をこれまでにはない高いレベルにおいて、再び一体化・合一化させようとしています。
最も具体的な「霊的なるもの」
霊医の存在と、霊医による治療
現在のホリスティック医学には、「霊」「霊魂」「霊性」に対する明らかな共通認識が確立されていません。霊を含む医学理論が必要であるとの意見の一致は見られるものの、霊とか霊性をどのように考えるかについては、
スピリット・ヒーリングは、人類史上初めて“医学”を用いて霊魂の存在が事実であることを証明しようとしています。スピリット・ヒーリングは、「霊医という肉体を持たない霊的存在が主役となって治療行為を進めている」「彼らによって診断と治療のフィードバックがなされ、新しい治療エネルギーが開発されている」――こうしたきわめて具体的で知性的な一連の営みが行われていることを明らかにしています。
人類史上、これほどまでに“霊の働きかけ”を具体的に詳しく述べた宗教はありませんでした。この意味でスピリット・ヒーリングは、他のいかなる宗教よりも「ハイレベルの宗教」であり、まさに「高次元宗教」そのものと言えます。
ホリスティック医学の新たな飛躍
スピリット・ヒーリングは――「本当に死後の世界はあるのか?」「果たしてそこに霊的存在がいるのか?」「霊による高度な知的活動が行われているのか?」「霊が地上人の病気を治すというようなことが本当にできるのか?」という、きわめて重要な霊的問題をホリスティック医学に提示することになりました。
現在のホリスティック医学は、霊性や霊的要素の重要性を説くものの、それを具体的な形で示すことはできていません。スピリチュアリズムにおけるスピリット・ヒーリングは、その「霊的なるもの」を最も具体的な形で人類の前に示しています。スピリット・ヒーリングはホリスティック医学という枠を越えて、「霊医学」と言うべき「新しい医学モデル」確立の可能性を