7.「ホメオパシー」と「花療法」の治療理論と問題点

「ホメオパシー」と「アロパシー」の対立

ホメオパシーはしばしば、ホリスティック医学の中に位置づけされます。「ホメオパシー」は今からほぼ200年前(19世紀)、ドイツ人医師サムエル・ハーネマンによって唱導された“反唯物的”な医学です。この医学は、当時の西洋医学ハーネマンはこれを「アロパシー医学」と呼びました)を激しく批判するところから出発しました。そして19世紀後半まで西洋医学と対立し、時にはこれを排撃して勢力を拡大してきました。

しかし20世紀に入り、抗生物質やホルモン剤といった強力な武器を手にした西洋医学が勢力を拡大するにともない、ホメオパシーは敗退を余儀なくされ急速に衰退しました。アメリカでは1900年には、ホメオパシーの専門医学校はまだ22校残っていましたが、1932年には医学校はわずか2校にまで減少してしまいました。

一方、ホメオパシーは内部においても多くの問題を抱え、内部分裂などの深刻な事態を迎える中で20世紀の半ば(1950年)には、アメリカからほとんどのホメオパシー医が姿を消すことになりました。その後ホメオパシーは欧米の先進諸国からもほぼ完全に駆逐くちくされ、細々と命脈を保つといった状態で現代に至っています。現在ホメオパシーは、インドやギリシアが中心となって活動を行っています。

最近になって、ホリスティック医学が注目されるようになるにともない、いったんはすたれたかに見えたホメオパシーが徐々に復活する兆しが見え始めています。日本にもホメオパシーを行う治療家や医師が少しずつ増えています。とは言っても本格的なホメオパシー治療からはほど遠いのが実情で、治療する側も治療される側も、新しいものへの好奇心がその中心となっているようです。

ホリスティック医学としてのホメオパシーの内容

ホメオパシーがホリスティック医学としての資格を有しているのは、西洋医学の“唯物主義”に異議を唱えてきたこと以外に、「エネルギー医学」としての医学理論・治療理論を展開しているからです。ハーネマン自身は、ホメオパシーを直接「エネルギー医学」の名称では呼んでいませんが、その内容はまさにエネルギー医学そのものと言えます。実際、彼の現在の弟子たちは、ホメオパシーは「エネルギー医学」であると明言しています。

ホメオパシーでは――「すべての生物は、内在するエネルギーによって生かされ、エネルギーが乱されると病気になり、活性化されると健康になる。病気はこのエネルギーレベルに生じる乱れである。病気とは単に人間のライフフォース(生命力)の乱れであり、ホメオパシーの薬(レメディー)は、病気を治すために患者の身体のバイタル・フォース(生体エネルギー)を刺激し活性化する」と述べています。ホメオパシーの健康観・病気観・治療観は、ここで述べられていることから明らかなように、エネルギーによって説明され、ホリスティックに論じられています。

さらにホメオパシーでは、病気は病原菌という外因によって引き起こされるのではなく、「身体のエネルギーの乱れ」という人間サイドに原因があるとしています。この点でもホメオパシーは唯物医学と一線を画して、ホリスティック医学の原則に立っています。ハーネマン時代の西洋医学は英雄医学と呼ばれ、瀉血しゃけつ瀉下しゃかを中心とした荒っぽい治療を特徴としていました。彼はその医学に厳しい批判の矛先ほこさきを向けました。ハーネマンの理論を忠実に受け継いだ現在のホメオパシー医師たちも、現代の西洋医学の唯物性を厳しく批判します。

このようにホメオパシーの基本的な医学観は、ホリスティック医学と呼ぶにふさわしいものとなっています。ところが具体的な治療法になると、ホメオパシーは多くの問題を露呈することになります。以下ではホメオパシーの治療法について論じていきますが、その前にまず、ホメオパシーの治療法について概観します。

ホメオパシーの「第1原則」

「類似の法則」

ホメオパシーという名称は、ギリシア語の「同種・類似」と「病気・苦悩」を意味する単語を合成してつくられたものです。ホメオパシーの治療理論の第1原則は、「類似の法則」です。これは「類が類を治す」という考えで、健康な人に投与すると特定の症状を引き起こす物質は、それと類似した症状の患者を治すことができるというものです。ハーネマンはこの「類似の法則」に基づいた治療法を、「その病気に似たもの」という意味で「ホメオパシー」と命名したのです。

患者の身体エネルギーの乱れを正し、免疫を正常化させるために用いられるのがホメオパシーの薬ですが、ホメオパシーではこれを「レメディー」と呼んでいます。患者には1人1人にふさわしい「1種類のレメディー」があるとされ、この正しい薬を見つけ出し、患者に投与することが「ホメオパシーの治療」ということになります。患者にあった唯一のレメディーが見つからなければ病気は治らないと考えます。ホメオパシーの治療では、1種類のレメディーの使用は厳格に守られなければならず、同時に2種類以上のレメディーを使用することは固く禁じられています。

ホメオパシーの「第2原則」

希釈きしゃくについての法則」

ホメオパシーの第2原則は、このレメディー作成に関するもので、「希釈に関する法則」と呼ばれています。レメディーをつくるとき、試薬は「天文学的な数値まで希釈」され、その希釈のたびに作成者はそれを「激しく振とう」します。試薬はあまりにも希釈され過ぎるため、もとの薬の分子は1つも残っていない状態になります。しかしこの希釈と振とうという過程によって、物質(薬)に内在していた治癒エネルギーが放出され、治療効果が導き出され、患者の生命エネルギーに対して働きかけることになると言うのです。

ホメオパシーでは、レメディーの効き目は物質的なものではなく、エネルギーによるものと説明されます。そして正しく希釈すれば、その効果は最大限にまで高められるとします。

しかし、こうしたあまりにも破天荒はてんこうな考え方を、唯物医学が到底認めるはずがありません。ホメオパシー薬が効いたというのは、治療師がうそをついているか、たまたま治る時期がきていたために患者の病気が治癒したにすぎないと批判を繰り返してきました。

ホメオパシーの「第3原則」

「慢性病の原因についての法則」

第1・第2原則に基づく治療法では、実際に慢性病に効果が少ないことに気がついたハーネマンは、その理由を探し求めます。そして大多数の慢性病の根源に、ある共通的な素因・弱点があることを発見し、これを「マヤズム」と名づけました。ハーネマンはその共通素因(マヤズム)の具体的な内容として乾癬かんせん梅毒ばいどく淋病りんびょうを挙げ、これらをアロパシー医学(西洋医学)が薬物で抑えつけ身体の奥に追い詰めたため、それが何年か後にさまざまな病気を発生させることになっているとしました。

したがってホメオパシーで慢性病を治すには、こうした身体の深部に潜む病気の根本原因(マヤズム)を取り除くところから始めなければならないということになります。現在のホメオパシー医は、ハーネマンが指摘した3つのマヤズムよりも、さらに多くのマヤズムが存在すると言います。ガン・結核・予防接種・抗生物質・西洋医学によって投与された薬物が新たな根本原因となり、それが何層ものマヤズム層を形成していると言います。治療ではこうした1つ1つのマヤズムを順番にはがし取っていく作業をしなければならず、ホメオパシー治療は、いっそう困難な状況を迎えるようになっています。

しかし、こうした考え方は角度を変えて見るならば、ホメオパシーの治療効果が低い理由を、都合よく西洋医学のせいにして責任転嫁を図っているとも言えます。ホメオパシーの治療でなかなか病気が治らないのは、根本原因が潜在して何層にもなっているためであると、あらかじめ逃げ口上をつくっているようにも受け取れます。

ホメオパシー治療家の強気と弱気

自信を持てないホメオパシー医師たち

ホメオパシー医師たちの言い分を聞いていると、強気と弱気の相反する思いが伝わってきます。ホメオパシーの治療でこれまで多くの病気が実際に治っていると強気の発言をする一方で、なかなか思うように病気が治らない現実と、自分の診断に対する自信のなさが弱気となって表れています。

現在、純粋に唯一のレメディーだけで治療をしているホメオパシー医はほとんどいません。時代の経過とともに、ますますマヤズム(病気の根本原因)は増え続け、今や何千にもふくれ上がった試薬の中から、患者に合った唯一の正しいレメディーを探し出さなければなりません。ところがそうした困難を乗り越えたとしても、ホメオパシーのレメディーは西洋医学の薬と比べ、はっきりとした効果が分かりません。臨床現場におけるもどかしさと苦しい状況の中で、多くのホメオパシー治療家は、ホメオパシーの原則を崩して複数のレメディーを投与したり、他の薬物と併せて投与するようになっています。

ホメオパシーの原則に忠実であろうとする少数のホメオパシー医にとっての最後の拠りどころは、これまで現実にホメオパシーで病気が治ったという事実と、西洋医学で治せなかった病気がホメオパシーで治ってきたという実績です。実際に病気を治してきたのだから、ホメオパシーは正しく優れた治療法であると自らに言い聞かせているようです。

ホメオパシーには、これまでの治療実績をあまりにも大袈裟にPRするといった傾向が見られます。「ホメオパシーでなく他の治療法でも同じ結果を出せたのかもしれない」、あるいは「ホメオパシーでなく他の治療法なら、もっとよい結果を出せる可能性があるかもしれない」という謙虚な方向に思考が進まず、ひたすら自らの治療法だけが優れているという一点にしがみついているようです。その姿は、日本のマクロビオティック信奉者に見られる宗教的な狂信性と、それほど大差がありません。

バッチの「花療法」の登場

ハーネマンから約1世紀後、イギリス人医師「エドワード・バッチ」はホメオパシーから出発し、やがてホメオパシーを離れ、彼独自の「花療法(フラワーレメディー)」という療法を生み出しました。バッチの「花療法」は、ホメオパシーの原則をことごとく踏み外しながらも、現実に多くの治療実績を上げました。

ホメオパシーが、植物・動物・鉱物から「レメディー」をつくるのに対し、バッチは植物のみ、しかも“花”を中心にしてレメディーをつくり上げました。バッチは、病気の最大の原因は「特定の心理的傾向」にあるとの病因論を展開し、花の中に心のアンバランスを癒す治癒力が潜んでいると考えました。そしてホメオパシーとは全く違った方法で花のレメディーをつくりました。「花療法」では、ホメオパシーにとっての大原則である天文学的な希釈と振とうというプロセスを一切行いません。花療法におけるレメディーは、「太陽法太陽光にさらされて花の治癒力が抽出されている“露”を集めるという方法)」と「煮沸法しゃふつほう」によってつくられます。

ホメオパシーがエネルギー医学の立場に立って、病気の原因は外部でなく内部(1人1人の感受性)にあるとしつつも、最終的に慢性病の根本原因(マヤズム)を西洋医学による間違った治療のせいにしたのに対し、バッチは、人間の心理・精神のアンバランスこそが病気の一番の原因であるとしました。

バッチの見解は、ホメオパシーの根本的な原則をある面で完全に否定するものです。スピリチュアル・ヒーリングから見れば、言うまでもなくバッチの見解にこそ正当性があります。ただホメオパシーで言うような“医源病”が存在することも事実ですが、それをすべての慢性病の原因とするのは間違いです。このようにしてバッチの「花療法」は、ホメオパシーの主要法則は必ずしも必要不可欠なものでないことを明らかにしました。

「ホメオパシー」と「花療法」は本当に効いたのか?

ホメオパシーも花療法も、ある時期には多くの治療実績を上げてきました。当然、彼らは この実績をもって自分たちの治療の正しさが証明されたと主張します。これは何もホメオパシーに限ってのことではなく、どのような民間療法や他の医学にも等しく見られる傾向です。

しかしホメオパシーや花療法の治癒率が、現実にはそれほど高くないことは当事者たちが一番よく知っています。もし本当に彼らの宣伝文句のようにホメオパシーに威力があるとするなら、他の療法を併用したり、原則を歪めたりするようなことはせず、自信を持って自分たちの方法だけで治療を進めるはずです。ハーネマンやバッチが批判し敵対した現代西洋医学にすり寄るようなことはしないはずです。

一般の人々が、「本当にホメオパシーのレメディーで病気が治ったのか?」「本当に花レメディーが患者の精神状態を癒したのか?」と疑問を抱いたとしても当然です。物質の分子が全く存在しない薬(レメディー)が、どうして薬効を発揮できるのか、現代人の常識で納得できないのは当たり前です。ホメオパシーや花療法では、一体どのようなシステムによって治癒が引き起こされたのでしょうか。残念ながらホメオパシーや花療法には、エネルギー療法としての明確な治療理論は示されていません。

“錯覚”の可能性

ホメオパシーや花療法によって、実際に多くの患者が治っていますが、そうした治癒はどのようにして引き起こされたのでしょうか。以下ではその治癒メカニズムの可能性について考えてみます。

ホメオパシーに反対する西洋医学の医師は、ホメオパシーのレメディーによる治癒を認めようとしません。たまたま病気が治るべき時期に至っていたのであって、レメディーで治ったというのは“錯覚”であると主張します。何もホメオパシーのレメディーを用いなくても、放っておいても病気は治ったと言うのです。当然、ホメオパシーのレメディーが身体の生命エネルギーを刺激した結果、病気が治ったという見解を認めません。

こうした西洋医学サイドの批判には、たしかに一理あります。“自然快癒”の時期がきていたという可能性を否定することはできません。民間療法で治ったという体験談には、そうしたケースが数多く含まれています。

“プラシーボ”の可能性

また、現代のホリスティック医学の第一人者、アンドルー・ワイルが盛んに強調するように、“プラシーボ”によって治癒効果が引き起こされたと考えることもできます。ホメオパシーや花療法のレメディーとは全く無関係に、患者自身の心の活性化プロセスによって“自然治癒力”が働くようになった可能性があるのです。プラシーボ効果については現在では、下手な薬品よりも治療効果の高いことが確かめられています。

プラシーボの効き目は、おそらくホメオパシーや花療法のレメディーとは比較にならないくらい大きいと思われます。あるいは、そもそもそうした比較さえ意味のないことかもしれません。ホメオパシーや花療法の治癒作用のすべてが、実は“プラシーボ”であったなどということになるかもしれません。

レメディーの治癒力は、微々たるもの

とは言っても、ホメオパシーや花療法のレメディーに「未知の治療能力」が含まれている可能性を頭から否定することはできません。レメディーの効果は、非物質的なエネルギー、あるいはもっと別の霊的な要素によって引き起こされたのかもしれません。ホメオパシーでは、そうしたエネルギーについては、今後の科学の研究によって明らかにされると言っています。しかし、仮にホメオパシーや花療法のレメディーにそうした神秘的な力があるとしても、微々たるものでしかないと思われます。

ハーネマンやバッチは、どうして人間の「生体エネルギー」の持つ治癒力の大きさに気がつかなかったのでしょうか。人間の持つ生体エネルギーと比べたら、レメディーの治癒力は取るに足らないものであることに思いが至らなかったのでしょうか。ましてバッチのように“心”についての影響力を突き詰めて探求していくならば、人生観の転換や呼吸法などの他の手段の効果の大きさも無視できなくなるはずです。

心の病気に対して花レメディーという外部からの投薬方式では、たとえそれに少々の霊的な治癒エネルギーが含まれていたとしても、その効果はあまりにもわずかなものと言わざるをえません。バッチほどの“霊感”の優れた人間が、なぜ花に内在するエネルギーだけにとらわれ続けたのか、不思議な気がします。おそらくは彼の心の中には、ホメオパシーで学んだレメディーが先入観として強く存在していたのでしょう。

スピリチュアル・ヒーリング進行の可能性

ホメオパシーではレメディーをつくる際に、希釈液を激しく振ります。この行為は霊的には重要な意味を持っています。スピリチュアル・ヒーリングの世界では、人格の優れたヒーラーが手にした水に、「スピリット(霊医)」が治癒エネルギーを注ぎ込み、患者の病気を治すといったことが現実に行われています。これと同じようなプロセスが、人格の優れたホメオパシー医にも成立する可能性が考えられます。その場合ホメオパシー医は、スピリチュアル・ヒーリングを行っていることになります。

また希釈液を激しく振るという行為を通じて、ホメオパシー医の有する「生体エネルギー」が希釈液の中に取り込まれる可能性も考えられます。ホメオパシーでは、希釈と振とうによって物質に内在していたエネルギーが分離させられると考えますが、実際には、振とうしている人間の生体エネルギーが希釈液の中に取り込まれるということかもしれないのです。

そうした形を通じて、ハーネマンもバッチも、無意識のうちにスピリチュアル・ヒーラーの役割を果たしていたのではないかと思われます。次の章で述べますが、スピリチュアル・ヒーリングでは、治療師(ヒーラー)の人格が治療結果に決定的な影響を及ぼします。ハーネマンもバッチも、自らをスピリチュアル・ヒーラーとは自覚していなくても、いつの間にかスピリチュアル・ヒーラーとして治療をしていた可能性が考えられます。

創始者と後継者の大きなギャップ

人格性・霊性の違い

ホメオパシーも花療法も、エネルギー療法として見るかぎり、特に優れたものとは言えません。現在のホメオパシーと花療法における最大の問題は、後継者たちが創始者(ハーネマン、バッチ)のような高い治療実績を上げられなくなっているという現実です。ハーネマンやバッチは、本当はレメディーなど用いなくても優れた治療実績を上げることができたはずです。「スピリチュアル・ヒーリング」という最も強力な治療を、無意識のうちに進めることができたからです。

こうした治療の背景に隠されている重大な事実を知らず、ただ創始者のつくり出した方法だけを真似しても、同様の効果を上げられないのは当然です。「エネルギー療法はヒーラーの人格によって左右される」「エネルギー療法の効果を決めるのは人間性(霊性)であってマニュアルではない」――この肝心な点に気がつかないまま、創始者のつくり出したノウハウだけにしがみつきそれを忠実に踏襲しても、混乱と迷いが拡大するだけで発展性はありません。バッチの花療法の実績は、バッチの優れた人格性(霊性)によるものであり、レメディーが優れていたからではなかったのです。

現在のバッチの後継者が、創始者と同じような実績を上げたいと思うなら、バッチの無私の精神、あふれんばかりの人類愛にならって人格を磨くことです。繰り返し述べますが、バッチの場合は、何もレメディーを用いなくても「手かざしをする」だけでも、「話をする」だけでもよかったのです。バッチは、病気の一番の原因は心・精神にあるとの卓見に至ったものの、「エネルギー医学」としての内容を深めることなく中途半端に終わってしまいました。それが彼の後継者に、混乱と戸惑い、不必要な苦しみを与えることになっています。

ホメオパシーも花療法も、今後スピリチュアル・ヒーリングが普及し「霊的エネルギー療法」についての見識が定着するに従い、早晩姿を消すことになるのではないでしょうか。