4.神智学の身体観

神智学の複数の霊的身体観

霊的身体を論じるについては、どうしても“神智学”を取り上げなければなりません。スピリチュアル・ヒーリングが1つの霊体の存在を主張するのに対して、神智学では複数の霊的身体の存在を主張します。神智学では、1つの肉体と複数の不可視の身体が重複して人体が構成されているとします。

神智学では、「太陽系七界」というコスモロジーを説きます。宇宙は7種の次元の異なる階層(界層)構造をしており、それぞれの階層は、その階層固有の素材から成り立っていると言います。7つの階層とはフィジカル界(物質界と半物質のエーテル界)・アストラル界・メンタル界・ブッディー界・アートマ界・モナド界・ロゴス界で、これらの階層世界を構成するバイブレーションは粗大から微細へと変化していきます。人間は死後、自分の霊体にふさわしい階層に所属するようになります。

一方、地上世界に住む人間は肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体といった次元の異なる複数の霊的身体を内蔵しており、これらの身体が重なり合って人体を構成しているとします。それは複数の衣類を重ね着しているようなものにたとえられ、死後、それらを1枚1枚脱いで階層世界を上昇していくことになると言うのです。

神智学の複数の霊的身体観

神智学では、物質世界から高位メンタル界までのレベルでは一定の身体の形態を維持していますが、メンタル界以上の世界では、霊的身体の形態性が薄れて徐々に外形がなくなっていくと言います。さらにロゴス界では形態は完全に失われ、すべての人間の霊的身体は1つに融け合うようになると言うのです。この最高次元のロゴス界は、古代インド思想で言われてきたニルバーナと同一の世界を示しています。

次元の異なる7つの世界と、その界を形成するエネルギーの波動と同質の身体を持つという理論は、合理的であり誰もが納得できるものです。このため神智学は、これまで多くの神秘学の徒に受け入れられてきました。この神智学の身体観はニューエイジにも大きな影響を与え、現在のニューエイジの1つの理念のようにさえなっています。ニューエイジの中では、エーテル体・アストラル体・メンタル体といった神智学の用語がひんぱんに用いられています。

スピリチュアリズムによる神智学の身体観批判

複数の霊的身体観の間違い

神智学の身体観は一見、論理的であり整合性があるように映ります。スピリチュアリズムでは1つの霊体の存在を主張するので、この点で神智学と異なります。神智学の複数の霊的身体観は、スピリチュアリズムから見るとき以下のように批判されます。

神智学の複数の不可視身体論は、宇宙が7つの階層から成立しているというコスモロジーに由来します。次元の異なる7つの世界があるのだから、それに相応する複数の異なる身体が必要であると考えたのです。

これに対しスピリチュアリズムでは、死後の世界である霊界は1つであるとしています(注3)。その霊界は、神智学で言うのと同様にバイブレーションの異なる階層(界層)から成り立っているとしますが、それらの階層は明確に区分されたもの(明確な境界をともなうもの)ではありません。この点でスピリチュアリズムと神智学の考え方は根本的に異なります。

スピリチュアリズムにおける“階層”という用語は、グラデーション的な連続変化の1つの場を意味しています。その状態は虹のようなものに譬えることができます。虹それ自体は1つですが、そこにはグラデーション的変化をともなう色彩の層が存在します。それぞれの色彩の間には、明確な区切り・境界線があるわけではありませんが、全体として見れば確かに色彩の異なる階層が存在しています。霊界とは、この虹のようなグラデーション的変化をともなう多くの階層からなる世界なのです――「1つの霊界があり、そこにグラデーション的変化をともなうさまざまな階層が存在する」ということです。

ここでもう1つの重要な点は階層の数ですが、結論を言えば、それは4つ、7つ、9つといった数で分類されるものではないということです。しいて階層の数に言及するならば、無数の階層があるということになります。これが現在のスピリチュアリズムにおける見解です。

また、スピリチュアリズムでは神智学と同様に、霊的身体はそこの階層と同質の材質からつくられていると考えます。霊界がグラデーション的な無限の変化をしている以上、人間の霊体も同じくグラデーション的変化ができなければ対応できなくなります。したがってこの点から考えても、人間に4つ、7つというような複数の霊体があると考えることは不合理です――「霊界のグラデーション的変化に適応できる、グラデーション的変化をする1つの霊体がある」というのがスピリチュアリズムの見解なのです。明らかにスピリチュアリズムの見解にこそ、合理性・整合性があると言えます。