(3)治療エネルギーの観点からのスピリチュアル・ヒーリングの分類
スピリット・ヒーリングでは、霊医がつくり出すスピリット・エネルギーが治療に用いられるのに対して、一般のスピリチュアル・ヒーリングでは、ヒーラー自身が持っている生体エネルギー(サイキック・エネルギーとマグネティック・エネルギー)が治療に用いられることが分かりました。
ここではそうした「治療エネルギー」の観点から、さまざまなスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)を分類します。
1)3種類の治療エネルギーと、3種類のスピリチュアル・ヒーリング
治療エネルギーによって異なるスピリチュアル・ヒーリング
世の中でスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)と呼ばれている治療法は、霊界のスピリットによるエネルギー(スピリット・エネルギー)を用いるものと、地上のヒーラーが持っている生体エネルギーを用いるものとに大きく分類されます。さらに後者のヒーラー自身の生体エネルギーは、霊体エネルギー(サイキック・エネルギー)と肉体エネルギー(マグネティック・エネルギー)の2つに分けられます。
したがってスピリチュアル・ヒーリングは、使用する「治療エネルギー」の違いによって3種類に分類されることになります。スピリット・エネルギーを用いる「スピリット・ヒーリング」、サイキック・エネルギーを用いる「サイキック・ヒーリング」、そしてマグネティック・エネルギーを用いる「マグネティック・ヒーリング」です。
以上の内容を整理すると、次のようになります。
スピリチュアリズムにおける正式なスピリチュアル・ヒーリングとは、「スピリット・ヒーリング」のこと
スピリット・ヒーリングは、スピリチュアリズム運動の一環として行われている霊医主導の特殊なヒーリングです。こうした治療法は、他には存在しません。スピリチュアリズムにおいて正式にスピリチュアル・ヒーリングと認めているのは、この「スピリット・ヒーリング」だけであり、サイキック・ヒーリングやマグネティック・ヒーリングは含まれません。
ただし、サイキック・ヒーリングやマグネティック・ヒーリングであっても、それに携わるヒーラーの人格が奉仕性・利他性に富んでいる場合には、本人が自覚していなくても、いつの間にか霊医の道具となって「スピリット・ヒーリング」を行っていることがあります。しかし現実には、こうしたケースは稀にしか存在せず、大半のヒーラーはサイキック・ヒーリングかマグネティック・ヒーリングにとどまっています。
2)一般のスピリチュアル・ヒーリングで使用される治療エネルギー
世間には、スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)を名乗る多くのヒーラーがいます。その中には、特殊な霊的エネルギーを用いることを謳うヒーリングもあれば、生体エネルギーを用いる民間療法的なヒーリングもあります。一方、宗教に目を転じてみると、そこでは古来、手当て療法や除霊治療などの心霊治療が行われてきました。このように地球上には、さまざまな「スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)」が存在しています。
では、そうしたスピリチュアル・ヒーリングでは実際に、どのような治療エネルギーが用いられているのでしょうか。ここでは世間に広く見られるスピリチュアル・ヒーリングの中から主だったものを取り上げ、そこで使用されている「治療エネルギー」について分析します。
中国の気功治療
中国の「気功(外気治療)」は、ヒーラー(気功師)の外気を患者に投射するというものです。外気とは、ヒーラーの霊体や肉体から体外に放射されている“オーラ”と呼ばれる「生体エネルギー」のことです。したがって気功治療は、「サイキック・ヒーリング」か「マグネティック・ヒーリング」のいずれかに属することになります。
これらのヒーリング(気功治療)では、ヒーラー自身が持っている生体エネルギーを患者に与えるため、治療をやり過ぎると、ヒーラー(気功師)は生体エネルギーを消耗してへとへとになってしまいます。気功師は、大気中からエネルギーを取り入れるためにさまざまな工夫をしていますが、治療によってかなりの負担を強いられることになります。
ロイヤル・タッチ
イギリスとフランスでは、中世から17世紀に至るまでの実に800年もの長期にわたって、国王が病人に手を触れて病気を治すことが行われてきました。これが“ロイヤル・タッチ”で、現在で言う「スピリチュアル・ヒーリング」に他なりません。ロイヤル・タッチは民衆にたいへんな人気で、多くの人々が病気を治してもらおうとして国王のもとに押し寄せました。国王の中には、統治期間中に10万人もの病人に触れた英国王・チャールズ2世(17世紀)のようなケースもあります。有名なフランスのベルサイユ宮殿においても、ロイヤル・タッチが行われました。
ロイヤル・タッチは、国王に宿った特別な力が病人に与えられることで病気が治癒すると信じられ、国王の権威を高め、王室を維持することに寄与しました。ロイヤル・タッチによって実際にどれほどの治療効果がもたらされたのかは定かではありませんが、国王が病人に与えると信じられてきた特別な力とは、「サイキック・エネルギー」と「マグネティック・エネルギー」のことです。
また、国王の権威とロイヤル・タッチの評判が相まって“プラシーボ(プラセボ)”効果が引き出され、これによって自然治癒が促されたケースもかなりあったものと推測されます。
レイキ治療
日本人によって創始された“レイキ”は、今では世界的な広がりを見せるようになりました。レイキとは「霊気」のことで、それを文字どおり受け取るならば「大霊(神)の気(エネルギー)」ということになります。レイキでは、それを“無限の普遍的エネルギー”と呼んでいます。レイキ・ヒーラーは、自分たちが治療で用いるエネルギーは、この無限の普遍的エネルギーであると言っています。
しかし、治療エネルギーの源は「神のエネルギー(普遍的エネルギー)」であっても、それをそのまま治療エネルギーとして用いることはできません。現実には、神のエネルギーはヒーラーの身体を通過する際に「サイキック・エネルギー」や「マグネティック・エネルギー」に変換され、それが患者に与えられることになります。レイキで用いる治療エネルギーは、サイキック・エネルギーかマグネティック・エネルギーに他なりません。したがってレイキは、「サイキック・ヒーリング」か「マグネティック・ヒーリング」のいずれかということになります(*レイキの問題については、後で詳しく取り上げます)。
宗教における手当て療法・除霊治療
宗教で行われている「手当て療法」や「除霊治療」はどうでしょうか。多くの場合、教祖や指導者を通して神のエネルギーが患者に与えられ、治療が行われると説明しています。
しかし、今述べたように実際には、神のエネルギーを直接、治療エネルギーとして用いることはできません。治療者の霊体から発するサイキック・エネルギーか、肉体から発するマグネティック・エネルギーが使用されます。したがってこの場合も、「サイキック・ヒーリング」か「マグネティック・ヒーリング」のいずれかということになります。
さまざまな手技療法
昔から手技療法として行われてきた「按摩(あんま)」や「指圧」や「鍼(はり)」にも、生体エネルギーが使用されています。これらの手技療法では、時に霊体エネルギー(サイキック・エネルギー)が使用されることもありますが、ほとんどの場合、肉体エネルギー(マグネティック・エネルギー)が用いられます。したがって手技療法の大半は、「マグネティック・ヒーリング」ということになります。
セラピューティック・タッチ
最近、評判になっているのが、ニューヨーク大学の看護学部の教授であり看護士でもあった、ドロレス・クリーガーによって1973年に創始された“セラピューティック・タッチ(TT)”です。現在、アメリカ国内の多くの大学でその手法が教えられ、看護師の間で普及しています。また、世界の60か国以上で紹介されています。
このTTは、病気によって乱れたエネルギーの場(滞ったエネルギーの流れ)を正常化させることによって治療を進めようというものです。ヒーラーは、自分の両手を患者の身体から数センチ(5~7センチ)離してかざし、両手を移動させます。そしてエネルギーの滞りを感じた箇所で手を掃き下ろすように動かして、エネルギーの状態を改善させます。TTには詳細なマニュアルがありますが、これはまさに現代版の“手かざし”と言えます。
TTでは、身体から放射されている「生体エネルギー(オーラ)」を利用しています。オーラには、霊体から放射されている霊体オーラと、肉体から放射されている生体磁気オーラの2種類があります。前者はサイキック・エネルギーで、後者はマグネティック・エネルギーです。したがってTTをスピリチュアル・ヒーリングと位置づけするなら、「サイキック・ヒーリング」か「マグネティック・ヒーリング」ということになります。
以上のように、世間一般に見られるスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)では、ヒーラーの「生体エネルギー」が使用されています。
3)3種類以外の治療エネルギーと、それを用いた治療法について
世の中には、スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)以外にも多くの治療法があります。その中には、神秘的なエネルギーや動植物の生命エネルギーを用いるとされる治療法があります。こうした不思議な治療法は、「ヒーラーという治療師がいなくても治療ができる」という点で、一般のスピリチュアル・ヒーリングとは異なります。これらの治療法はまた、「地上の人間や霊(スピリット)の生体エネルギーを用いない」という点でも、スピリチュアル・ヒーリングとは違っています。
ここではそうしたスピリチュアル・ヒーリング以外の治療法と、そこで用いられる治療エネルギーについて見ていきます。
動物・植物の生命エネルギーを用いる治療法
動物や植物の「生命エネルギー(生体エネルギー)」を治療に用いることがあります。動物や植物などの“生命体”は、神によって生命を与えられ、生命活動を営むようになっています。宇宙に遍在している「神のエネルギー」は、人間ばかりでなく動物や植物にも取り入れられ、生命エネルギーとして、これらを生かしています。人間とは異なり“自由意志”を持っていない動物や植物は「神の摂理」に一致した生き方をしており、一大調和世界を構成しています。
したがって不調和状態に陥っている人間が、こうした摂理に一致した動物や植物に触れることで、ある程度、不調和状態が正されるようになります。自然界と調和している動物や植物から「生命エネルギー」が与えられ、それによって人間は間接的に「神のエネルギー」を補充することができるようになり、不調和状態が部分的に改善されることになるのです。これが動物や植物によって癒される治療のメカニズムです。動物や植物と触れ合うとき、人間は喜びや心地よさやすがすがしさを味わいますが、それは動物や植物を通して「神のエネルギー」がもたらされるからなのです。
動物との触れ合いによって心が癒され、生命力が増すことから“アニマルセラピー”といった新しい治療法も生まれています。アニマルセラピーは「神の摂理」に合った治療法で、確かにそれなりの効果がもたらされます。ただし、期待するような効果が得られるかどうかは、本人の内容によります。アニマルセラピーに癒し効果があるといっても、人間を通して治療エネルギーがもたらされるスピリチュアル・ヒーリングと比べるなら、それほど大きな効果は期待できません。
植物と触れ合う治療法としては、自然散策や森林浴・園芸などが挙げられます。また、エドワード・バッチによって開発された“フラワーレメディー”は、植物(特に花)に含まれる治癒エネルギー(神のエネルギー)を積極的に治療に用いようとするものです。種々のハーブにも、物質的な薬効成分ばかりでなく治癒エネルギーが含まれています。また、大木を直接抱きしめることによっても治癒エネルギーを取り入れることができ、それなりの癒し効果がもたらされます。
物質的な治癒エネルギー
動物や植物などの生命体とは異なる自然界の存在物(物質・鉱物)にも、ある種の治癒エネルギー(神のエネルギー)が含まれています。太陽光線・月の光・星の光・清浄な空気(特に早朝や深夜の空気)・清浄な水・大地(土)・海・川・山・石・砂・鉱物などを通して治癒エネルギーがもたらされるようになっています。生命体から“オーラ”が放射されていることはよく知られていますが、生命体でないあらゆる物質からも“物質オーラ”が放射されているのです。こうした治癒エネルギーを含んでいる自然界の存在物は、治療に活用できる可能性があります。(注1)
ただし、それらによる治療効果は、患者が期待するほど大きなものではありません。人間の生命エネルギー(生体エネルギー)を用いるスピリチュアル・ヒーリングとは、比べものになりません。そして最も重要なことは、どのような治療法であってもその結果は「カルマの法則・償いの法則」という神の摂理によって決まる、ということです。
4)霊的エネルギー循環理論と、さまざまなエネルギーの補充について
霊的エネルギーの体内循環
スピリチュアリズムの霊的知識によって明らかにされたように、人間は「霊」と「霊の心」と「霊体」という霊的要素と、「肉体本能」と「肉体」という物質的要素から構成されています。この5つの構成要素に神のエネルギー(霊的エネルギー)が隈なく循環することによって、人間は生命活動を維持することができるようになっているのです。
宇宙に遍在する神のエネルギー(霊的エネルギー)は、“魂の窓”を通して「霊」に取り入れられます。そして「霊」を満たした霊的エネルギーは「霊の心」へとステップダウンしてそこを満たし、さらに「霊体」と「肉体本能」へと流れていきます。「霊体」を満たした霊的エネルギーは、古来“チャクラ”と呼ばれてきた霊体と肉体の接点から「肉体」に流入することになります。一方、「霊の心」から「肉体本能」へと流れ込んだエネルギーは、そこから「肉体」にもたらされます。こうして宇宙の大気中から取り入れられた神のエネルギー(霊的エネルギー)は、人間のすべての構成要素に行きわたることになるのです。これが全身を循環する「霊的エネルギー」のメインの流れです。
それを図示すると次のようになります。
人間の構成要素を積み上げるように図示し、各構成要素に関係するエネルギーを示すと次のようになります。
正しいセルフ・ヒーリングによる霊的エネルギーの補充
病気は、全身の霊的エネルギーの循環が不順になることから発生します。その原因の1つが、霊的エネルギーの不足です。病気の治療とは、外部から霊的エネルギーを補充して、全身を調和状態に近づけることに他なりません。
神との触れ合いを求めて祈ることによって、神のエネルギー(霊的エネルギー)を直接「霊」に取り入れることができるようになります。これがセルフ・ヒーリング(正しい信仰実践)による霊的エネルギーの補充です(図の①に相当)。正しい信仰実践は、それ自体が有力な治療法になっているのです。一方、正しい愛の関係(利他愛による他者との結びつき)を持つことによって、「霊の心」に霊的エネルギーが補充されるようになります(図の②に相当)。正しい愛の関係を築くこともセルフ・ヒーリングになり、それによって病気が癒されるようになるのです。
スピリチュアル・ヒーリングによる霊的エネルギーの補充
外部から働きかけて霊的エネルギーを補充する方法としては、「スピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)」が筆頭に挙げられます。スピリット・ヒーリングでは、霊医がつくった治療エネルギーが患者の霊体と肉体の接点から「霊」の領域に流入します。そしてそこからステップダウンして、全身のエネルギー状態を正常化します。外部から注がれる治療エネルギーが「霊」にまで至ることができるのは、スピリット・ヒーリング以外にはありません(*スピリット・ヒーリングの場合でも、ヒーラーからの霊的エネルギーが「霊」をはじめとするすべての構成要素に行きわたって身体全体が正常化されるのは、カルマが清算され「病気が治る時期」がきている患者に限られます)。
一方「サイキック・ヒーリング」の場合も、治療エネルギーは患者の霊体と肉体の接点から入っていきますが、そのエネルギーは「霊体」にしか届きません。そのためサイキック・ヒーリングでは、霊体レベルの癒しにとどまります(図の③に相当)。「マグネティック・ヒーリング」の場合には、治療エネルギーは「肉体」にしか届かず、肉体レベルの癒しにとどまります(図の④に相当)。
動植物や物質によるエネルギーの補充
動物・植物の生体エネルギーを用いる治療法は、肉体にエネルギーを補充する治療法です(図の④に相当)。また、物質的治癒エネルギーを用いる治療法も肉体にエネルギーを補充する治療法ですが、動植物の生体エネルギーほどの効果はありません(図の⑤に相当)。
5)神のエネルギーを直接、治療エネルギーとして用いることは可能か?
大言壮語するヒーラーのウソと不正
世間には、さまざまなスピリチュアル・ヒーリングが存在し、それぞれが特長を謳っています。その中には「自分たちのヒーリングでは、神から直接、特殊な治療エネルギーが送られてくるため最高の治療が可能になる」と宣伝しているものがあります。それらの多くが、自分たちのヒーリングの特殊性を印象づけるために、使用する治療エネルギーに仰々しい名称をつけています。「普遍的エネルギー」「レイキ」「気エネルギー」「リコネクティブ・エネルギー」「波動エネルギー」「プラーナ」などです。スピリチュアル・ヒーリングがある種のブームとなっている現在、神のエネルギーを直接用いるというヒーリングが、次々と現れるようになっています。
しかし、そこでは本当に神のエネルギーを直接用いたヒーリングが行われているのでしょうか。彼らが言っているような特殊なヒーリングは、実際に存在するのでしょうか。ここではそうした問題を「霊的事実」の観点から検証していきます。
神のエネルギーは、治療エネルギーの材料
スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)では、宇宙に遍在する「神のエネルギー(霊的エネルギー)」をヒーラーが取り入れ、それを「治療エネルギー」として使用します。神のエネルギーは、スピリチュアル・ヒーリングで用いる治療エネルギーの材料です。神のエネルギーをどのように加工するかによって、さまざまな治療エネルギーができ上がります。
スピリット・ヒーリングでは、霊界の霊医たちが「神のエネルギー」に手を加え、患者に相応しい「治療エネルギー」を開発します。そして治癒の進展状況に応じてさらに改良を加え、より効果的な治療エネルギーをつくり上げていきます。スピリット・ヒーリングが他の治療法と根本的に異なるのは――「霊医たちが総力を傾けて治療エネルギーの開発にあたる」という点にあります。霊医たちによる知的操作と試行錯誤の実験・研究の結果、スピリット・ヒーリングは、他に類のない「最強のスピリチュアル・ヒーリング」になっているのです。
人々の「霊的無知」に付け込むニセヒーラー
世の中の大半の人々は、基本的な霊的知識もスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)に関する知識もないため、ヒーラーたちが声高に主張する話の真偽を判断することができません。ヒーラーと同等かそれ以上の知識があって初めて、相手(ヒーラー)が語る内容の真偽を判断することができるようになるのです。ヒーラーたちの多くは、一般大衆の「霊的無知」に付け込んで難しい専門用語や霊的知識を振りかざし、自分がさも最高のヒーラーであるかのように巧みに宣伝します。そして何も知らない人々は、ヒーラーの言葉を鵜呑みにして騙されることになります。スピリチュアル・ヒーリングの中では、こうした巧妙な不正や詐欺が堂々と行われています。
もし、あるヒーラーが「自分のヒーリングは、神の特殊なエネルギーを直接用いるために最高の治療効果をあげられる」と豪語するなら、その人間は“ウソ”をついていると決め付けても間違いはありません。さらにそのヒーラーが高額な治療費や講習料を要求するなら、完全な“ペテン師”と判断することができます。
スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)に関する専門的な知識がなくても、こうした点を判断基準にすれば、誰でも簡単にヒーラーの真偽を判定できるようになります。もちろん、ヒーラーたちが言うような「神のエネルギーを直接用いて治療する」といった事実はありません。また、彼らのヒーリングが特に治療効果が高いというようなこともありません。高額な治療費を請求して当然と考えているようなヒーラーは“ペテン師”と同じです。「神のエネルギーを直接用いて治療する」という言葉が真実であるなら、自分が治すわけではないのですから、高い治療費を要求する必要などないはずです。
果たして「神のエネルギー」を直接用いて、病気治療はできるのか?
スピリチュアル・ヒーリングにおける治療エネルギーは、地上のヒーラーや霊界の医者が「神のエネルギー」を取り入れて治療のために利用するものです。神のエネルギーはどこまでも治療エネルギーの材料(素材)であり、それをそのまま治療エネルギーとして患者に与えることはできません。
すべての地上人は、本人の霊性レベルに見合った「神のエネルギー」を絶えず取り入れ、それを「生命エネルギー」として生命活動を営んでいます。もし地上人が必要十分な神のエネルギーを取り入れ、それをスムーズに身体全体に循環させることができるなら、健康を維持することが可能となります。しかし実際は理屈どおりにはいかず、多くの人々がさまざまな病気にかかっています。そこにニセヒーラーは付け込み、「自分のヒーリングでは神の特殊なエネルギーを直接用いるため、どんな病気でも治すことができる」と主張するのです。
果たして「神のエネルギー」を直接、治療エネルギーとして用いるというようなことができるのでしょうか。また、それによってどんな病気でも治せるというのは本当でしょうか。
病気には、「カルマ(摂理違反)」という原因があります。病気による苦しみの体験は、カルマ清算(罪の償い)のプロセスであり、それは本人にとって最も重要な霊的成長の道をリセットするチャンスになっています。神の摂理に背いたことから生じた“病気”という現象は、見方によっては神が与えた“愛のムチ”と言えるのです。
それを地上のヒーラーが、神の特殊なエネルギーを用いて帳消しにするというようなことができるでしょうか。答えは“NO”です。もしそれができるとするなら、神のエネルギーが「神の摂理」に反する働きをしたことになります。神のエネルギーが摂理に反する現象を引き起こすようなことはあり得ません。この事実は――「ヒーラーが神のエネルギーを直接、治療エネルギーとして患者に与えるようなことはできない」ということを意味しています。
「神の摂理」の支配と、神のエネルギーの受容性について
ニセヒーラーが言うような、“神のエネルギーを直接患者に与える”といったことは不可能です。この問題を「霊的真理」に照らして、さらに検証してみることにします。
意識するとしないとにかかわらず、人間は誰もが「神のエネルギー」を取り入れ、それを「生命エネルギー」として生命活動を営んでいます。神によって「霊的存在」として造られた人間は、神のエネルギー(霊的エネルギー)を取り入れる“魂の窓”を持っているのです。
ただし“魂の窓”を通して、どの程度まで神のエネルギーを取り入れられるかは、一人一人で違っています。多く取り入れられる人がいる一方で、わずかしか取り入れられない人もいます。それを決定するのが、各自の「霊的成長度(霊性レベル)」なのです。神のエネルギーの取り入れ口(魂の窓)が大きい人と小さい人がいるのは、それぞれの人間の霊性レベルが違っているからです。「神の摂理」によって、霊性に応じて神のエネルギーを取り入れる量が決定するようになっているのです。
したがって霊性の低い人が、神のエネルギーを大量に取り入れたいと望んでも、それはできません。もし多く取り入れたいと思うなら、摂理にそった霊的成長のプロセスを歩み、時間をかけて少しずつ“魂の窓”を広げ、「神のエネルギーの受容性」を高めていくことです。人間は「霊的成長」とともに、神のエネルギーをより多く取り入れることができるようになっているのです。神のエネルギーを今以上に取り入れたいと考えるなら、自らの努力によって霊的成長の道を歩むしか方法はありません。これが「神の摂理(法則)」です。神のエネルギーに対する受容性の乏しい人が、摂理から外れて多くのエネルギーを受け取るというようなことはできないのです。
こうした「霊性」の問題以外に、神のエネルギーの受容については「カルマ」という別の要素も深く関係しています。理屈から言えば、人間が必要十分な神のエネルギーを取り入れることができるなら、病気はすぐに治るようになります。しかし患者は「カルマの法則」や「償いの法則」や「霊的成長の法則」などの支配下に置かれ、さまざまな制約を受けています。そのため神のエネルギー(生命エネルギー)が不足して病気が発生し、いったん病気になると、なかなか治らないようになっているのです。
摂理から外れて、神のエネルギーを余分に受け取ることはできない
どのような人間も、絶えず「神のエネルギー」を取り入れていますが、それをどのくらい取り入れられるかは、今述べたようにすべて「神の摂理」の支配のもとで決まることになります。病気で苦しんでいる人の場合には、神のエネルギーを十分に取り入れられないか、身体のエネルギー循環が不順になっています。そのため全身が不調和状態に陥り、病気で苦しむことになっているのです。
病気はすべて“自業自得”の結果であり、同時に再び「霊的成長の道」を歩み出すための準備のプロセスになっています。病気の苦しみを通して「カルマ」が償われると、病気が治る時期を迎えます。苦しみの体験というカルマ清算のプロセスを通して、病苦から解放される時期がやってくるのです。「病気が治る時期」がくると神のエネルギーを十分に取り入れることが可能となり、全身が調和状態に置かれるようになります。
こうした「神の摂理」の支配に対する理解が深まると、「神の特殊なエネルギーを用いて特別な治療をする」というヒーラーの説明は、全く根拠のない“ウソ”であることが分かります。ヒーラーがいなくても、病気が治る時期がくれば自ら神のエネルギーを取り入れることができるようになるのです。治る時期がこないうちは、どれほど神のエネルギーを取り入れたいと思っても、それはできません。また、外部からいくらエネルギーを注入しようとしても、それを受け取ることはできません。患者の側に神のエネルギーの受け入れ態勢・受容性がないときには、ヒーラーがどんなに努力をしても無駄になってしまうのです。
神のエネルギーではなく、ヒーラーの生体エネルギーによる治療
これまで見てきたようにスピリチュアル・ヒーリングは、地上のヒーラーや霊医が「神のエネルギー」を取り入れ、その一部を「治療エネルギー」として利用するという形で進められます。取り入れた神のエネルギーを、そっくりそのまま治療エネルギーとして患者に与えることはできません。神のエネルギーを純粋なまま治療エネルギーとして用いることは不可能なのです。
スピリチュアル・ヒーリングにおいて、神のエネルギーが直接患者にもたらされるというようなことはあり得ません。神のエネルギーは、いったん地上のヒーラーや霊医が取り入れ、そこで「治療エネルギー」に変換されて初めて、治療に利用できるようになるのです。そのために“ヒーラー”が必要となるのです。
本人(ヒーラー)は大真面目に、自分を通して神の特殊なエネルギーがそのまま患者にもたらされ、病気が治ると思っているかもしれませんが、それは「霊的無知」からの錯覚です。神の特殊なエネルギーと思っていたものは、実際には本人の「霊体エネルギー(サイキック・エネルギー)」や「肉体エネルギー(マグネティック・エネルギー)」にすぎません。それらがたまたま治癒を引き起こすと、「神の特殊なエネルギーによって病気が治った」と錯覚してしまうのです。ヒーラーの多くが霊的事実に対する無知から、こうした勘違いをしています。
「神の特殊なエネルギーを直接、患者に与えることによって病気が治る」という理屈は筋が通っているように思われますが、そうした霊的事実はありません。それはどこまでも頭の中だけで考え出した作り話にすぎません。神のエネルギーを直接与えることによって奇跡的治癒が起きる、というようなことはあり得ないのです。
もし奇跡的治癒が生じたとするなら、それは神のエネルギーではなく、ヒーラーの生体エネルギー(サイキック・エネルギーやマグネティック・エネルギー)による反応です。「神の特殊なエネルギーを直接与えることで最高の治療が可能になる」と豪語するヒーラーは、自分自身の霊的無知を示しています。「神の摂理」に対する理解の乏しさを証明しています。自ら“ニセモノ”であることをさらけ出しているのです。
神のエネルギーを用いるというニセヒーリングの実態
「神のエネルギーを直接用いて治療する」といった、ありもしないことを売りにして人集めをしようとするヒーラーは、無条件に“ニセモノ”と判断すべきです。それは無知なヒーラーか、組織に騙されているヒーラーか、あるいはウソを承知で人々を騙して大金を巻き上げようとする悪徳ヒーラーのいずれかです。
もし、そうしたニセヒーラーたちが言うように、神の特殊なエネルギーによる病気治療が可能であるとするなら(*実際には、それはあり得ませんが)、病人を治療するのは「神」ということになります。治療の主役が「神」である以上、ヒーラーが治療費を請求することは間違っています。自分たちが努力して治療した結果、病気が治ったのなら報酬を受け取ることは正当化されるでしょうが、「神」が病気を治すのなら、ヒーラーは必要ないということになります。
ニセヒーラーたちは、「自分を介して神のエネルギーが患者に与えられる」と言います。彼らはまた、「ヒーラーになるためには自分たちが主催するセミナーやセッションに参加することが必要である」と主張します。そのセミナーでは金額に応じたコースが設定されていて、「高額のコースを選択すれば、より強いヒーリング能力が身につくようになる」と謳っています。グループに共通のネックレスやペンダントなどのグッズを購入させるところもあります。なかには、ヒーリング創始者の権威(?)を受け継ぐためと称して、さまざまなグッズを身につけさせるようなところもあります。それによって、神のエネルギーを受け入れることが可能になると言うのです。
「神のエネルギーを直接用いて治療する」という主張は、巧妙な金儲けの手段に他なりません。これがニセヒーリングの実態ですが、当事者たちは「実際に病気が治って喜ぶ人がいるのだからいいではないか。人助けをして何が悪い。現に病気が治っているという事実は、自分たちのヒーリングが間違っていないことの証明だ」と居直ります。
しかし「霊的事実」に照らしてみれば、病気が治ったのは神のエネルギーを用いたからではありません。それは、ヒーラー自身の「生体エネルギー」を治療エネルギーとして用いたために発生したことなのです。いずれにしても、神のエネルギーを直接用いて治療をするというようなことはあり得ません。
こうしたニセヒーリングの実態は、まさに怪しげな新興宗教と同じです。多くの新興宗教や新新宗教では、“教祖の祈りによって霊力が込められた”とされる高額のネックレスやペンダントやお札を信者全員に持たせますが、その主張は霊的事実とは全く一致していません。こうした不正行為が、宗教組織の指導者や幹部から出たものであることは明らかです。そこにはドロドロとした人間の欲望が渦巻いています。これと同じようにニセヒーリングも、人間の醜い欲望から横行するようになっているのです。
「霊的事実」の観点からの“レイキ”の検証
「神のエネルギーを直接用いる」というヒーリングについて説明してきました。「純粋な神のエネルギーを与えるからこそ、自分たちのヒーリングには特別な効果がある」という主張には、何の根拠もありません。それは人々を騙して金儲けをするために考え出した屁理屈にすぎません。
ここで「神のエネルギーを用いて治療する(?)」という実例を取り上げて、検証することにします。この種の治療法を謳っているところは数多くありますが、その中で近年注目を浴びるようになったのが“レイキ”です。レイキは、臼井甕男(ウスイミカオ・1865~1926)という日本人が創始し、欧米から広く世界に普及するようになったヒーリングです。レイキは、「神のエネルギーを直接、患者に与えて治療する」というヒーリングの代表と言えます。
ここでは『レイキとは何か』(ボド・J・バギンスキー/シャリラ・シャラモン共著/松田和也訳・BSBジャパン発行)の内容にそって、レイキについて検討していきます。
『臼井博士による「レイキ」のシステムは、私たちが知る最も単純かつ自然なヒーリング・メソッドであるばかりではなく、同時にまた最も効果的にこの普遍的エネルギーを流す方法でもある。一度「レイキ」の「チャンネル(※通路・ヒーラーのこと)」になってしまえば、ひとりでに手から強力な生命エネルギーが流れるようになり、しかもこの能力は生涯失われることはない。この普遍的エネルギーとは、何であるのか。(中略)
これは、啓明を得た賢者たちが、古来述べて来たところと完全に一致する。すなわち彼らの教えによれば、万物を包含し、かつ全生命を生み出す存在状態(※万物の第一原因の世界。すなわち物質を超越した神の世界)がある。この存在状態のエネルギーは万物の中に息づいており、そしてこの普遍的エネルギーこそ、私たちがレイキを用いる時に手を通じて流れ出すエネルギーに他ならない。(中略)
実践者(※ヒーラー)が他者に手を触れた時にその人を通じて流れるのは、実践者自身の持つ有限のエネルギーではないからである。それは普遍的エネルギーであり、他人に流すことによって、実践者自身をも強め、調和させる。レイキはまた、それを必要とする肉体の部分に自然に流れて行く。』
(レイキとは何か・24~26)
※で示した部分は筆者による
ここでは“レイキ”について、「無限の普遍的エネルギー」と定義しています。この無限の普遍的エネルギーが、本書で述べてきた「神のエネルギー」を指していることは言うまでもありません。レイキという普遍的エネルギー(神のエネルギー)がヒーラーを通して相手(患者)にもたらされる、と言っているのです。
ここで述べられている内容は、いかにも理路整然としているように映りますが、肝心な点で「霊的事実」から大きくかけ離れています。根本的な間違いがあります。それはヒーリングで用いるのは、純粋な神のエネルギーであってヒーラーのエネルギーではない、と明言している点です。「手を触れた時にその人を通じて流れるのは、実践者自身の持つ有限のエネルギーではないからである。それは普遍的エネルギーである」と断言しています。しかしこれまで見てきたことから明らかなように、この説明は事実ではありません。霊的事実とは完全に違っています。
レイキについて、「最も効果的に普遍的エネルギーを流す方法でもある」と言っていますが、大気中から取り入れられた普遍的エネルギー(神のエネルギー)がヒーラーの身体を通過する場合、霊的な純粋さがそのまま保持されることはありません。神のエネルギーはヒーラーの身体を通過する間に、自動的に生体エネルギー(サイキック・エネルギーやマグネティック・エネルギー)に変換されてしまいます。いったんヒーラーが取り入れた「普遍的エネルギー(神のエネルギー)」は、自然と「生命エネルギー(生体エネルギー)」に変化し、物質性が加わって外部に放出されることになるのです。普遍的エネルギーを純粋なままストレートに患者に流す(与える)ことがレイキの特殊性であり、他にはない独自性であると自慢していますが、それこそが根本的な間違いです。
さらに大きな問題が、レイキの“ヒーラー養成”に関しても見られます。
『レイキは、他の医療やヒーリングのような教授方法は採らない。我々は皆、生まれながらにレイキを持っているからである。何故ならレイキとは生命それ自体の力なのだから。伝統的にファースト・ディグリー(※レイキのセミナーにおける第一段階)のアチューンメント(※指導者によるレイキ・エネルギーの回路を開くための手法)は4回行われるが、これによって内なるヒーリングのチャンネルが開き、あなた自身の肉体がレイキのエネルギーを流せるように調整されるのである。(中略)
レイキのティーチャ―(※教師・指導者)は、誰もがみな、古えのレイキ・マスターたちの霊統に属している。これによって、真のレイキの知識のオリジナルな形が守られ、あなたが学ぶレイキの正統性と効果が保証されるのである。』
(レイキとは何か・66~67)
※で示した部分は筆者による
人間を超越した普遍的エネルギーを扱う、といった高尚な説明から突然、人間の欲望臭が漂う説明に変っていることに気づかれたことでしょう。人間の諸事情とは無関係に存在する普遍的エネルギーを活用するために、なぜ指導者の系統が問題視されなければならないのでしょうか。「古えのレイキ・マスターたちの霊統に属することによって、レイキ(ヒーリング)の正統性と効果が保証される」とは、いったいどういうことなのでしょうか。
ここでは、レイキのセミナーに出ることがヒーラーになるための不可欠なプロセスであるかのように述べていますが、その内容はかなりいい加減です。文中の「あなた自身の肉体がレイキのエネルギーを流せるように調整される」という言葉は、セミナーに参加することによってヒーリング能力を持つことができるようになる、ということを意味しています。
レイキでは、指導者のアチューンメントを受けることによってヒーリング能力が身につくようになるとしていますが、実はこうした霊的な出来事は、誰にでも起こり得る単なる「サイキック現象」です。ちょっとした霊的訓練を受けるだけで発生する、ごくありふれた霊的反応にすぎないのです。
したがって、ヒーリング能力が発現するようになったからといって、それがレイキの特殊性を証明するものではありません。レイキでは、自分たちのシステムが優れているためにヒーリング能力が発現するようになる、と主張していますが、それは霊的現象・霊的事実に対する無知(霊的無知)からの見解です。その「霊的無知」が、幼稚で的外れな「普遍的エネルギーの独占理論(独断論)」を生み出すことになっているのです。
レイキの講習を受けなくても、レイキ・マスターがいなくても、正統のレイキでなくても、ヒーリング能力の開発は可能です。“レイキの正統性”などという言葉は、閉鎖的で間違った自画自賛の言い分にすぎません。「霊的事実」に照らしてみれば、レイキが主張する正統性や卓越性・特別性・独自性は一切認められません。レイキは、宗教組織が自分たちの優秀性・特別性を声高に叫んで“信者集め”をしているのと全く同じような幼稚なことをしているのです。
『どちらのレイキ団体においても、マスター・ディグリーの受講料は非常に高い。この金額は、志願者が真摯にマスターの位階を受けたいと願っていることを証明する最後のハードルと言えよう。その昔、霊的な秘儀伝授を受けようとする弟子たちは、何年、時には何十年もの間、マスターと共に隠遁生活をしなければならなかった。そのことを考えても、今日、我々がマスター・ディグリーで得られるものは、それに支払う金額に十分見合っており、その価格設定は適切であると考える。』
(レイキとは何か・73)
いやはや、ここまでくると何をか言わんやの世界です。要するに「お金で能力が買える」と言っているのです。こうした幼稚な考え方は、習い事の資格や免許状を金銭で買うのと同じことです。「普遍的エネルギー」という人間の事情とは無関係なエネルギー、人間の欲望を超越して存在する崇高なエネルギーを人間の欲望の対象であるお金で売り買いできるとするような説明は、レイキがまさに真実からかけ離れた“ニセモノ”であることを示しています。人間が勝手につくり出した“まがいもの”であることを証明しています。“直伝レイキだ”“西洋レイキだ”といった路線対立を引き起こしてきたのも、本をただせば、レイキの根幹思想が間違っていたところに人間の醜い欲望が絡んでのことです。神のエネルギーは、お金で買えるようなものではありません。
普遍的エネルギー(神のエネルギー)は、誰もが受けています。もちろん神のエネルギーを多く受けられる人とそうでない人がいて、それはその人間の「霊的成長レベル(霊性レベル)」によって決定されます。「お金を払えば短期間に神のエネルギーをより多く受けられるようになる」というようなことは、絶対にあり得ません。
霊的能力・ヒーリング能力というものは、長い時をかけた霊的修行の結果、身につくものです。「神の摂理」によってすべてが支配されている世界にあって、何週間か講習を受けただけで特別な人間になれる、というような奇跡は生じません。本物のヒーラーになるためには、それに見合った努力と苦労が必要とされるのが当然であり、それが「神の摂理」なのです。
レイキのセミナーにおいて、指導者が手を触れること(アチューンメント)によって身につくようになるというヒーリング能力は、すべての人間に潜在している「サイキック能力」が少し引き出されたものであって、きわめてありふれた現象です。霊的観点から見ると、レイキは、間違った人工的な理論・霊的事実からかけ離れた空論に立ったヒーリングであることは明らかです。
レイキ治療は、ごく普通の「サイキック・ヒーリング」の1つにすぎません。レイキには、サイキック・ヒーリング以上の内容はなく、決して特別なものではありません。「霊的無知」のために自分たちだけに特別なヒーリングが可能になったと思い込み、それを間違った人工的な理論で塗り固め、権威づけを図っています。そこに人間の欲望が絡んで、「権威主義路線・金権主義路線」を拡大していくことになっているのです。
そもそも“ヒーリング”とは、自己顕示や金儲けのために行うものではありません。「病気で苦しむ人を少しでも楽にしてあげるために行う無償の奉仕」―それがヒーリングです。そうであってこそヒーリングという行為に「霊的価値」が生まれるのです。レイキの実情は、こうしたヒーリング本来の意味からしても失格です。
「自分のヒーリングは、他にはない特別なヒーリングであり、神の特殊なエネルギーを用いて治療する」と宣伝すれば、病気に苦しむ人々や霊的なものに関心のある人々を惹き付けることができるでしょう。しかし、利他的精神・無償の奉仕性に基づかないスピリチュアル・ヒーリングは“人騙し”以外の何ものでもありません。
謳い文句である「神のエネルギーが病気を癒す」ということを本当に信じているなら、治療費を要求する必要などないはずです。自己顕示や金儲けではなく、人類への無償の奉仕としてスピリチュアル・ヒーリングに携わりたいと願うなら、私利私欲を捨て、「霊界の道具」に徹して歩むことです。見返りを一切求めず、質素な生活を送り、人々に奉仕できるだけでよしとすべきです。そうであるなら、霊界の霊医たちの目に留まり、彼らの援助を受けることが可能となるのです。純粋な奉仕精神・犠牲精神があってこそ「スピリット・ヒーリング」への道が開かれ、霊医の道具として働く本物のヒーラーになることができるのです。
スピリチュアル・ヒーリングという神聖な仕事を自分の欲望を満たすための手段にするような者は、いずれ大きなツケを払わざるをえなくなります。