1.「心の影響力」をめぐる心身医学と現代医学の対立

現代西洋医学の特徴は、心(意識)と肉体を二分化すること、そして肉体だけを医学の対象として取り扱うということです。これは現代西洋医学が、デカルトやニュートンの宇宙モデルに立脚する近代科学を土台としているからです。“唯物医学”としての西洋医学は当然、心を軽視し、心(意識)が身体(肉体)に影響を与えることを認めようとしません。

20世紀は現代西洋医学が世界を支配した時代ですが、同時に別の方向から現代医学とは全く異なる医学が登場しました。それが「心身医学」です。心身医学は、心と肉体の相関関係を主張し、従来の医学と真正面から対立することになりました。心身医学は心の存在を医学の中心に位置づけし、唯物的な現代医学に大きな挑戦状を突きつけました。やがて心身医学によって、心が肉体に影響を及ぼす事実が明らかになるにともない、唯物医学はその理論的前提を崩されることになりました。

ここでは近代科学にり寄って世界を支配するようになっていった現代西洋医学の歩みと、その現代医学に異議を唱え、対立していった心身医学の歴史を簡単に見ることにします。

デカルトの物心二元論・物心二分論

近代科学は、17世紀の哲学者ルネ・デカルトに始まると言われます。デカルトの「物心二元論・物心二分論」はよく知られています。

このデカルト哲学は、心(精神・意識)と物質(肉体)を徹底して分離し、宇宙や世界は人間の意識や感情とは関わりなく存在し、人間の影響を全く受けずに規則正しく機械的に運動し続けるとします。こうした考え方の延長上に、近代科学は発展していくことになります。

ニュートンモデルによる科学至上主義の確立

18世紀に登場したアイザック・ニュートンもまた、デカルトの物心二元論と同様の宇宙モデルに立ちます。すなわち物質世界(宇宙)は、人間の意識の介入なしに機械的に運行されるとしたのです。ニュートンの後継者は、さらに物心二元論的なモデル(考え方)を推し進め、「心と物質(肉体)の相互作用」を迷信として退けました。科学の中から意識(心の要素)を排除することによって、近世以前の宗教的迷信の介入を徹底して否定しようとしたのです。

科学は1800年代(19世紀)に、ニュートンモデルによって空前の技術力を獲得し、世界を支配していくようになります。19世紀末には、大部分の物理現象がニュートン理論で説明されるようになり、20世紀の初期には、科学万能の趨勢すうせいはますます揺ぎないものになっていきました。

こうして地球人類が20世紀を迎えたときには、デカルトとニュートンの宇宙モデルを理論的土台とした科学は地球上を支配するようになり、科学万能時代・科学至上主義を迎えることになりました。

科学を導入し、科学の権威をたてにして大発展した西洋医学

西洋の主流医学(西洋医学)は、ニュートン物理学が最盛期にあった19世紀の末から20世紀にかけて、科学の一員として新たな道を歩み出すことになりました。自らをニュートン理論モデルにそわせ、「科学としての医学」を確立しようとしたのです。医学の中に物理学・化学・生物学の知識を導入して理論武装し、実験による再現性を重視した科学的手法を取り入れました。またX線などの最新の科学技術を検査法の中に採用し、診断技術を飛躍的に向上させました。それと同時に、次々と新薬を開発していきました。

一方、当時高まりつつあった一般大衆の科学信仰が、こうした科学的装いをした西洋医学を後押しすることになりました。やがて20世紀前半には、西洋医学は主流医学として世界中を席巻せっけんすることになりました。

このように近代科学を楯にした現代西洋医学は、「科学医学」として現在に至っています。医者は、自らを科学者の一員として考え、医学は科学の一分野であると確信しています。そして科学がそうであるように、医学は“肉体”という物質のみをその対象と考えます。こうした科学医学(西洋医学)の本質を一言で言うならば、“唯物医学”ということになります。人体を複雑な機械として見なし、意識や心の影響を認めず、心理的要因を厳しく排除しようとする医学と言えます。

科学モデルの大変化

ニュートンモデルから、量子論モデルへ

ニュートン理論に基づく科学が最盛期を迎え、西洋医学が自らその一員になろうとこれに寄り添っていった時期に、皮肉なことに科学は根底から大きな変化を遂げようとしていました。科学の一番手は何といっても物理学で、それを支配していたのはニュートン力学でした。ところが絶対不動と思われていたその物理学の理論モデルが、20世紀に入り大きく揺らぎ始めます。アインシュタインの相対性理論と、それに続く量子力学によって、ニュートン理論による古いモデルに修正が加えられるようになったのです。

20世紀に興った新しい物理学は、観測する人間の心を物理学理論の中に持ち込み、ニュートンモデルの古い考え方を根底から突き崩しました。相対性理論は、質量と時間が絶対的なものではなく、観測者の運動状態に対して相対的であることを証明しました。量子論は、素粒子について知ることができるのは、観測者が何を測ろうとしているかによって決まるということを証明しました。こうして突如、最新の物理学によって、科学者(人間)の心と物質が切り離すことのできない関係にあることが明らかにされるようになったのです。

時代遅れとなっていることに気がつかない現代医学

19世紀までのデカルトやニュートンの宇宙モデルでは、外部の世界は人間の意識(心)から切り離され、全く関わりを持たないものとされてきました。そうした科学の根本的な考え方が、新しい科学によって180度ひっくり返されることになったのです。人間の心と外界(物質世界)との関係が、絶ち難いものであることが証明されました。

これは当然、古い科学モデルを土台としてきた医学にとっては、自らのって立つべき土台を根底から崩される一大事です。しかし当の本人たち西洋医学の医師たち)は、その重大な変化に気がついていません。医学が根拠としてきた科学モデルがすでに時代遅れとなっていることを知らず、それどころか依然として心と肉体を切り離して考え、医学が対象とすべきは物質次元の肉体のみであると思い込んでいます。

古い科学モデルは、いずれ新しいモデルに取って代わられるようになりますが、それとともに現在の西洋医学も確実に、根本的な改革・根底からの変革を迫られるようになります。20世紀の西洋医学は、古い科学モデルのままで多大な医療実績を上げることができたため、自分たちが時代遅れの考え方をしていることに気がつきませんでした。しかしその西洋医学も、20世紀の後半に至って内部矛盾や限界が明らかになり始めました。そして心身医学やホリスティック医学が登場する中で、少しずつこれまでの考え方を変える必要性に気づき始めています。

「心身医学」の登場

1939年、シカゴの精神科医フランツ・アレキサンダーは、慢性疾患の多くが日常生活の“ストレス”によるものであるとの画期的な見解を示しました。これが後に「心身医学」という新しい学問に発展していきます。そして“心は肉体の健康を左右する重要な要素である”という古くからの考え方が、現代医学の中で復活することになりました。東洋医学をはじめとする伝統医学では、心が病気の原因となることはよく知られていました。「病は気から」という言葉はそれを端的に表していますが、そうした伝統的な心身相関関係が、近代科学が支配力を増す中で抹殺まっさつされてしまいました。それが20世紀に至り、心身医学の登場によって再び、心と身体の相関性がクローズアップされるようになったのです。

1950年代には、心身医学の研究者は7つの疾患を“心身症”と指定しました。消化性潰瘍・潰瘍性大腸炎・本態性高血圧症・甲状腺機能亢進症・慢性関節リウマチ・神経皮膚炎・気管支喘息で、これらの疾患は身体的要因と同時に、心理的要因を持つ可能性があるとされました。

それとほぼ同じ時期に内分泌学者ハンス・セリエは、ストレスの研究を通じて、ストレスと病気発生のメカニズムを発見しました。このストレス研究が、その後の心身医学の研究に大きな影響をもたらすことになります。さらにイヴァン・パブロフの条件反射理論の登場によって、心と身体の結びつきを理論的に解明する1つの手がかりが得られるようになりました。

1960年以降、心が体に影響を及ぼす証拠が次々と明らかにされていきます。ストレスと高血圧に関する研究、ヨーガ行者の瞑想の研究を通じてのリラクゼーション技術の開発、ガンと心理状態の関係の研究、過去の精神的ストレスがその後の身体状態に影響を与える研究などが相次いで発表されました。そこでは生活の中で試練やストレスを上手に処理できない人は、できる人より4倍も病気にかかりやすいという報告もなされています。

こうして従来、人間の経験や伝統医学で言われてきた心と体の密接な関係――「心身相関関係」が医学の中で徐々に明らかにされるようになりました。当然のこととして、その過程の中で「心身医学」は主流医学からの激しい反対と攻撃にさらされ、これとの闘いを余儀なくされました。そして心身医学は1980年代の「精神神経免疫学」の誕生によって、さらなる飛躍のときを迎えることになります。

「精神神経免疫学」の誕生

人間の心理状態が体に影響を及ぼすことが、数々の研究を通じて明らかにされるようになりましたが、それだけでは主流の医学を納得させることはできません。そのためには“心が免疫系に明らかな影響を与える”という科学的証拠が示される必要がありました。

従来、免疫系は自律神経系とは違って完全に独立して作動し、他の系からの影響は受けないものと考えられてきました。しかし免疫系がストレスに敏感に反応するという証拠が、NASA(米国航空宇宙局)の医療班から提出されることになりました。宇宙飛行士のストレスと白血球数の変化の関係が報告されたのです。これを機に、ストレス実験による心(精神)と免疫系の結びつきの研究が始まりました。そして「精神神経免疫学(psychoneuroimmunology)」という独立した学問が誕生することになりました。

精神神経免疫学(PNI)は、「精神(心・感情)」と「神経(脳・中枢神経)」と「免疫系」をひとつにまとめようとする学問研究です。これは心と体の間には複雑な相互作用があること、心と病気の間には密接な関係があることを証明しようというものです。主として“ストレス”という精神状態と免疫の関係のメカニズムを明らかにして、心身の相互作用を立証しようという研究なのです。

精神神経免疫学は1990年に至って、1つの独立した学際的研究分野としておおやけに認められるようになりました。十分とは言えないながらも、心身医学は「精神神経免疫学」の公認によって、心と体の関係を否定する主流医学(現代西洋医学)に対して勝利を勝ち取ったのです。

とは言っても現在の精神神経免疫学には、まだまだ多くの克服すべき課題があります。その1つが、「意図的に免疫反応を変化させたりコントロールするにはどうしたらよいのか?」ということです。現在、催眠・瞑想などの行動医学的技法を用いて免疫反応を変化させることができることは分かっています。しかし、それはどこまでも部分的なものにすぎません。もし免疫の働きを確実にコントロールする方法が分かるようになるとしたなら、生活習慣病や慢性病に対する強力な治療法・予防医学が確立されることになります。免疫の働きを計画的に活発化させて、すでに進行している病気を治したり、予防医学として病気の発症を防ぐことができるようになるのです。

「心身医学」の問題

現在、心と身体の間に密接な関係があることは、ほぼ科学的な定説になろうとしています。「精神神経免疫学」による最近の目覚しい研究成果によって、複雑な心身の相互作用の一部分が解明されるようになりました。これまで別々に働いていると考えられてきた精神(心)と神経系・内分泌系・免疫系が、密接なネットワークを形成していることが明らかにされました。“ストレス”を受けると、3つの系の連係プレーによって“ホメオスターシス”を保持しようとすることが分かったのです。

とは言っても現在は、心と肉体の関係のほんの一部分を知ったということにすぎません。心身医学は駆出かけだしの新しい学問分野なのです。今後は、まだ知られていない心身関係のメカニズムが次々と発見され、無作為臨床試験によってその1つ1つが確認されることになるでしょう。心身医学は、さらに新しい世界を切り開いて発展し、間違いなく21世紀の最前線の研究分野になるはずです。