2.スピリチュアル・ヒーリングの身体観

「霊体と肉体の二重構造論」

「霊体」の存在

スピリチュアル・ヒーリングの身体観の最大の特徴は、肉体以外に「霊体」と呼ばれるもう1つの不可視の身体があるとしていることです。ハリー・エドワーズは――「人は肉体の他に、私たちが“霊体”と呼んでいるもう1つの身体を持っています。それは完璧な身体であり、肉体が物質界にいる間の乗り物であると同様に、霊界に行ってからの乗り物として活躍するものです」(『霊的治療の解明』P22)と述べています。これは目に見える肉体だけを対象とする現代西洋医学とは180度異なった身体観であり、西洋医学の唯物主義と根本的に対立するものです。

唯物主義的医学に異論を唱えるという意味では、心身医学も同じ立場にありますが、現在の心身医学では、心の定義と心の所在が明確でないため、状況によっては反唯物主義にも、唯物主義にもなり得るという曖昧あいまいさがあります。その点スピリチュアル・ヒーリングは、霊的身体の存在を主張することで“アンチ唯物主義”の立場を明確にしています。

スピリチュアル・ヒーリングの指摘する「霊的身体(霊体)」は、 ホリスティック医学が求めてきた、まさに霊的要素そのものと言えます。スピリチュアル・ヒーリングをホリスティック医学の一員と見なすならば、スピリチュアル・ヒーリングはホリスティック医学の中で、最も具体的な霊的要素を示しているということになります。

「霊体」は一般の人々にとっては不可視の身体ですが、霊的視力という特殊な能力に恵まれたごく一部の人間一般には、霊能者とか霊媒体質者と呼ばれます)には、明確な一定の形態・外形を持って認識されます。「霊体」は、無形のタマシイや単なる霊的エネルギーではありません。「霊」と「霊体」は全く別の存在です。「霊」は我々の自我の最も高次で本質的な部分であり、スピリチュアリズムでは“神の分霊”と定義しています。「霊」は無形であり外形をともなっていないため、霊的視力をもってしても直接認識することはできません。それに対し「霊体」は明確な形態を持っており、霊的視力によって外形を認識することができます。「霊」については、本書の第6章で取り上げます。)

霊は無形ですが、霊体は外形をともなっているという違いを、はっきりさせておく必要があります。

霊体と肉体の「二重構造論」

スピリチュアル・ヒーリングでは、霊体と肉体という2つの異質の身体が重なり合って人間を構成しているとします。この「霊体と肉体の二重構造論」は、スピリチュアル・ヒーリングにおける身体観の一番の基本です。肉体は物質的身体であり、不可視の霊体は非物質的身体です。私たちの目に映るのは肉体だけですが、その同一の場に霊体が重複して存在しているのです。

スピリチュアル・ヒーリングにおける「霊体と肉体の二重構造論」は、スピリチュアル・ヒーリング独自の身体観ではありません。それは太古より現在に至るまで、世界の各地で多くの人々によって受け入れられてきたものです。たとえば近代スピリチュアリズムの先駆者と言われるエマヌエル・スウェーデンボルグの思想の中にも、それが明確に示されています。スウェーデンボルグは『霊界日記』の中で、死後の身体について「霊魂が身体なしで存在し得るとするのは誤りである」とし、人間は死後、霊体の存在として生きていくことを明らかにしています。また彼は、「霊的な身体は霊の衣として仕え、物質的な肉体に正確に対応している」と述べ、スピリチュアリズムと同様、霊体と肉体の二重構造論を主張しています。

現代の体外離脱体験 O.B.E.(Out of the Body Experience)の研究で有名なロバート・A・モンローも、全く同様の見解を示しています。モンローは、「第1の身体は肉体である。第2の身体は肉体より密度が薄く、肉体と重なるように存在している」と明確に霊体と肉体の二重構造性を述べています(注1)

霊体と肉体の「二重構造論」

半物質の結合体(幽質結合体)

スピリチュアル・ヒーリングの基本的な身体観は、霊体と肉体の二重構造ですが、霊体と肉体との間には、2つの異質の身体を結びつける接着剤のような部分があります。この部分を「結合体」とか「中間体」と呼びます。霊視能力を持った特別な人間には、それが肉体を覆う薄い衣のように映り、肉体に付随したある種の身体形態として認識されます。

この結合体は「半物質・半幽質」によって形成され、その材質の特殊性によって2つの異質の身体を結びつけ、両者の間のエネルギーの交換を可能にしています。

半物質の結合体(幽質結合体)

結合体は、神智学で言われてきた半物質身体であるエーテル体に相当しますが、実際にはこの部分は独立した身体ではなく、2つの身体に付属して存在する“仮の身体”と言うべきものです。死によって霊体と肉体が分離するときには、結合体部分が裂かれ、その一部はしばらく霊体に付着することになります。霊体はその遺物化した結合体を捨て去ることによって純粋な霊体となり、新たな世界での生活を始めるようになります。

また、この中間体の物質が体外に取り出されて“エクトプラズム”となり、さまざまな物理的心霊現象が引き起こされることになります。

霊体と肉体を結ぶ「シルバーコード」と、死の定義

スピリチュアリズムでは、人間は霊体と肉体という2つの身体から成り立っており、この2つの身体は死とともに永遠に分離し、肉体は朽ち果てて元素に戻り、一方、霊体は霊的世界で新たな生活を始めるようになるとします。

また興味深いことに、覚醒中は霊体と肉体は同一場に重複していますが、睡眠中などでは2つの身体は分離するようになります。最近では臨死研究が盛んになりましたが、実際には誰もが毎日のように“臨死体験”をしているのです。その際、「シルバーコード」と呼ばれる特殊なコードが、分離した2つの身体をつないでいます。シルバーコードは、2つの身体を結びつける結合体の接着剤のような物質が変化したものです。

霊体と肉体を結ぶ「シルバーコード」

死とは、2つの身体を結ぶシルバーコードが切れる瞬間のことです。現在では、死の定義をめぐってさまざまな議論がなされていますが、スピリチュアリズムの観点から言うならば、“死の瞬間”とは脳死状態に陥るときではなく――「霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れる瞬間」ということになります。

「霊的身体」の存在を主張することは、非理性的なことか?

もし、スピリチュアリズムで言うような「霊体と肉体の二重構造」が事実であるとするなら、一番身近な自分自身の身体(霊体)の存在に気づかないのは不自然だと考えるかもしれません。現代では、最新のテクノロジーを駆使した検査技術によって、体内のミクロの世界まで手に取るように見ることができます。それと比べ、自分自身の霊的身体の存在さえ信じられないというのは、大半の人々があまりにもひどい霊的無知の状態に陥っているということです。このように言うと必ず、“もともと霊体というようなものはないのだから認識できなくて当り前”といった反論の声があがることでしょう。

霊的能力の乏しい一般の人々にとって、不可視の霊体の存在を認めることができないのは仕方のないことかもしれません。しかし、次のような事実をじっくりと考えてみなければなりません。それは昔から霊能者と呼ばれてきた特殊な人々が、霊の存在に確たる信念を持ち、常にその存在を意識してきたということです。また過去から現在に至るまで、圧倒的多数の人々によって霊が実在するとの見解が支持されてきたということです。さらには太古の昔より、人間の姿をした霊的存在(幽霊)を見たという体験談が絶えることなく語られ、しかもそうした話は日本だけでなく、世界の至る所で無数に存在しているという事実です。霊魂の存在を否定する人々は、こうした話をすべて錯覚(脳内体験)として片づけようとしますが、それはきわめて不自然なことと言えるのではないでしょうか。

無数の事例を、すべてうそや錯覚の一言で本当に片づけてよいものでしょうか。たとえ一部の人間であっても、それを認識したという事例があるということは、それを見る能力を持つ人間と持たない人間がいると考える方が論理的ではないでしょうか。「霊的能力のあるなしが、霊体の認識を決定する」と考える方が自然ではないでしょうか。もし、そうした仮説が正しいとするなら、不可視の霊的身体の存在を主張することは必ずしも不合理なことではありません。この問題については、本書の最後の章でもう一度取り上げることにします。

ところでホリスティック医学に属する他の医学・治療法では、霊的身体の存在について、どのように考えているのでしょうか。次に、現代の代表的なホリスティック医学の立場にあるインド伝統医学や中国伝統医学の身体観を見ることにします。それらの身体観とスピリチュアル・ヒーリングの身体観を比較することにします。