(2)本物のスピリット・ヒーラーかどうかの判別は簡単

ヒーラーの“ウソ”は誰にでも見抜ける

1)金儲けから始まるニセヒーリング

本当のスピリット・ヒーリングは無償の奉仕

あるヒーラーが本物なのか、あるいはニセモノなのかを判別するのは、それほど難しいことではありません。ヒーラーの金銭に対する姿勢と現実の行為を観察するだけで、誰もが簡単に判断することができます。

本物のスピリット・ヒーラーなら、自分の方から治療費を要求するようなことはありません。スピリット・ヒーリングは本来、“無償の奉仕”として行うべきものだからです。スピリット・ヒーリングは、ヒーラーが止むにやまれぬ献身的精神から自発的に行う奉仕です。ヒーラーが報酬目当てではなく“純粋な人助け・無償の奉仕”としてヒーリングに臨むとき初めて「霊医の道具」として認められ、スピリット・ヒーリングが成立するようになるのです。

治療の主役が霊界の霊医たちであるという事実を考えるなら、地上のヒーラーが勝手に治療報酬を得ようとしてはならないことは明らかです。

スピリット・ヒーリングを金儲けに利用しようとするニセヒーラーたち

現在、ヒーラーとして活動している大半の人間は、金儲けからヒーリングを始めています。スピリット・ヒーラーを自称するヒーラーの多くが、スピリット・ヒーリングは他の治療法より金儲けになると踏んで、意図的にスピリット・ヒーリングを利用しようとしています。そうしたヒーラーたちが、無償の奉仕としてヒーリングをすることなどあり得ません。

彼らはスピリット・ヒーラーを名乗る一方で、高額の治療費やセミナー料を要求し、開運グッズや魔よけグッズなどを売りつけています。そうした私利私欲からスピリット・ヒーリングの看板を掲げる者が、霊医の道具になることができないのは明白です。口先でいくら立派なことを言っても、現実の行為が“ニセモノ”であることを証明しています。

スピリット・ヒーラーには――「無償の奉仕性と自己犠牲と利他愛」という崇高な精神が求められます。本物のスピリット・ヒーラーになるためには、高い倫理的ハードルを越えなければなりません。そうでないかぎり「霊医の道具」として働くことはできないのです。スピリット・ヒーリングの看板を掲げるヒーラーの中に本物のヒーラーがいないのは、このためです。「なぜ、一握りの人間しか本物のスピリット・ヒーラーになれないのか?」――それは、ここで述べた通りです。

大部分のヒーラーは、スピリット・ヒーラーになる資格を持っていません。物欲と利己心からスピリット・ヒーリングを利用しようとする人間を、霊界の人々が援助するはずはありません。

2)報酬を求めるのは当たり前か?

ニセヒーラーの屁理屈

治療費をもらわなくても、スピリット・ヒーリングはできる

「スピリット・ヒーリングは無償の奉仕・純粋なボランティアとして行うべきである」と言うと、必ず反論する人間が現れます。その多くがすでにヒーラーとしてヒーリングに携わっている者たちです。彼らは決まって次のように言います。「ヒーラーも人間である以上、お金をもらわなければ生活できない。治療費を請求するのは当然だ」「お金を取ってこそ患者は真剣に臨むようになる。治療費を請求した方が良い結果がもたらされる」と。

しかしこうした言い分は、スピリット・ヒーリングの本質を知らない人間の屁理屈にすぎません。お金を取らなくても、奇跡的治癒はいくらでも起こります。誠意と熱意があれば、ヒーリングのための時間はどれだけでも捻出できます。「家族を養うために生活費を稼がなければならない」と言うのなら、仕事の休みの日にボランティアとしてやればいいのです。

「治療費をもらって当然」と考えているヒーラーは、スピット・ヒーリングが時間や空間の制限を超えて行われるものであるというスピリット・ヒーリングの本質を全く理解していません。誠意と熱意さえあれば、ほんのわずかな時間でもスピリット・ヒーリングは可能になるのです。「治療費を取らなければやっていけない」という主張は、そのヒーリングが本物のスピリット・ヒーリングではないことを示しています。自らの発言が“ニセモノ”であることを証明しているのです。

霊界の働きかけを知らないニセヒーラーたち

報酬を求めるのは当たり前と思っているヒーラーは、スピリット・ヒーリングの主役が霊医であることを理解していません。スピリット・ヒーリングでは、治療をするのは霊界の医者たちであって、地上のヒーラーではありません。こうした大原則を知らないために、治療費をもらって当然であるかのような主張をすることになるのです。

スピリット・ヒーリングを無償で行っても、決して飢えるようなことにはなりません。霊医の道具として奉仕しようとするなら、お金に困るようなことにはなりません。ヒーリングで金儲けをしようとするから、生活できなくなるのです。純粋な奉仕精神と人々の幸せを願う利他心があれば、最低限の生活は霊界によって保障されるようになっています。有り余るような大金は与えられませんが、質素な生活を送るのに十分なものは、霊界からもたらされるようになるのです。報酬をもらわなくてもやっていけることは、霊界の道具に徹して歩んだヒーラーたちによって実証済みです。

金儲けから出発したヒーラーは、すべて“ニセモノ”

治療費として1回に何万円も要求したり、ヒーラー養成を名目に何十万もの講習料(セミナー料)を取るような者は、自ら“ニセモノ”であることを証明しています。そうしたヒーラーに霊医(善霊)が協力するはずはありません。いくら道徳的で立派なことを口にしても、またスピリチュアリズムの霊的知識を語っても、霊界の援助は一切得られません。“低級霊の餌食”となるのが関の山です。

高額の治療費や講習料を要求するヒーラー、開運グッズ・魔よけグッズを売りつけるようなヒーラーは、すべてニセモノと断定して間違いありません。金儲けから出発したヒーラー、金儲けを優先するヒーラーは、本物のスピリット・ヒーラーにはなれません。霊医の道具になる資格がないのです。「お金を取らなければヒーリングはできない」と言う人間は、ヒーラーをやめた方が自分自身のためです。詐欺まがいの行為によって自分の“魂”を汚す前に、やめた方がいいのです。そうした人間がヒーラーをやめたからといって霊界の人々は困りませんし、スピリチュアリズムにとって何ひとつ損失にはなりません。

3)奉仕精神から始まるスピリット・ヒーリング

スピリット・ヒーリングは“神聖な仕事”

純粋な奉仕精神からヒーリングを始めたヒーラーには、報酬への期待は一切ありません。これこそが“スピリット・ヒーラー”のあるべき姿勢です。ヒーラーにこうした崇高な精神があって初めて、霊界からの援助を受けて「本物のスピリット・ヒーリング」が成立するようになります。スピリット・ヒーリングは、地上世界における最も神聖な仕事の一つなのです。

シルバーバーチは、次のように述べています。

「霊媒能力治療能力も霊媒能力の一種)は神聖なものです。いい加減な気持ちで携わってはならない仕事なのです。ところが不幸にして、大多数の霊媒が自分の能力を神聖なものとは自覚せず、苦しむ者・弱き者・困窮している人たちのために我が身を犠牲にしてその能力を役立てようとはしていません。」

『The Spirit Speaks』

現在、“スピリット・ヒーラー”を自称している方にお聞きしましょう。これまでの皆さん方の行為は、本当に神聖なものだったでしょうか。シルバーバーチが言うように、その仕事の神聖さを自覚し、霊界の道具に徹して治療に臨んできたでしょうか。営利を度外視して、困っている人々のためにヒーリングをしてきたでしょうか。それとも法外な治療費を当たり前のように要求してきたでしょうか。

自分が本物のスピリット・ヒーラーであったかどうかは、これまでの行為が示しています。

自分を犠牲にする覚悟

スピリット・ヒーラーを目指す者には、自分を犠牲にして困っている人々のために無償で治療にあたる覚悟が必要になります。金儲けを優先するヒーラーの地上人生には、何ひとつ霊的価値はありません。それどころか人間にとって最も大切な霊的成長を阻害し、地上に生まれなかった方がよかったという結果を招くことになってしまいます。

スピリット・ヒーラーになりたいと思っている方は、もう一度、自分に問いかけてみてください。「報酬を要求することなく、ひたすら霊医の道具として、自らを犠牲にすることができるか」そして「スピリチュアリズムの霊的真理普及のために、一生を捧げることができるか」と。

「どうしたら本物のスピリット・ヒーラーになれるのか?」――その答えはすでに示されています。「自分の利益を求めることなく、霊医の道具に徹し、人々の霊的成長(本当の幸せ)を願って働くこと」です。大金を払ってヒーラー養成セミナーに出ても、本物のヒーラーにはなれません。わずかなサイキック能力やマグネティック能力が引き出される程度のことです。

実際の無償の行為が、本物かニセモノかを決定

無償の奉仕という「純粋な利他性」の有無が、本物のスピリット・ヒーラーかどうかを決定します。治療費に対する姿勢によって、霊医が認める本物のヒーラーかどうかを判定することができるのです。ニセヒーラーやニセ霊能者ほど、とかく立派なこと・道徳的なことを口にします。自分の“ウソ”を見破られないために、言葉巧みに人々を騙そうとします。

しかし「治療費を取る」という実際の行為が、“ニセモノ”であることを端的に示しています。治療費を取るヒーラー、特に法外なお金を要求するヒーラーは、たとえ立派なことを言っていても、すべてニセモノなのです。

霊界の人々を騙すことはできない

どれほど立派な言葉を並べても、それによって騙せるのは霊的知識を知らない地上の人間だけです。心の中をすべて見通している霊界の人々を騙すことは、絶対にできません。治療に携わる動機は、すべて知られています。

もし自分が“ニセヒーラー”として人を騙してきたことに良心の呵責を感じるなら、家計や世間体を気にせず、ヒーラーとしての活動をやめるべきです。もし組織的に不正を働いてきたなら、ただちにその組織を解散すべきです。人々を騙し続けることの罪の大きさを考えたなら、即刻やめるべきなのです。死後、地獄の苦しみを味わうようなことにならないよう、人生をやり直すのがよいのです。ヒーラーになろうとするより、一人の人間として誠実に歩むことが、霊界に行ってから後悔しない賢明な生き方なのです。